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新田次郎氏と生品神社  その2

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さて新田次郎氏の話の続きをしましょう。
新田次郎氏の本名が藤原寛人であり、長野県に生まれた、といったことまでは書きました。
学校は無線電信講習所本科(現電機通信大学)を卒業。その後中央気象台に就職し、富士山測候所に勤務、のちに満州国中央気象台に転任した。

実は、この間の昭和14年夏に雷雨観測のため、1か月間、生品神社社務所を借りて滞在した、ということが小説「新田義貞」の中に書かれている。

そうなんです。新田次郎氏は生品神社と関係があったんです。

しかも、これは、彼が作家になる12年前、「新田義貞」を書く37年も前の出来事です。そして新田次郎氏が生品神社に滞在していたころは、作家になろうという意思は全くなかった。

不思議な縁ですね。

私は運命論者だから、新田次郎氏が作家になる前に生品神社を訪れ、新田姓を名乗り(たとえそれがペンネームであろうと、新田を名乗った時点で、新田氏の宿命を背負う)、のちに新田義貞の小説を書くことは、彼の持って生まれた因縁なのです。きっと。私はそう断言します。


そして、新田次郎氏は小説「新田義貞」を書くために、30年ぶりに生品神社を訪れます。
だが、そこで目にしたものに、愕然とします。
かつては神主もいた生品神社でしたが、今は無住で、社殿、境内は荒れ放題となっていた。また取材のために、新田関連の寺社を巡りますが、そのたびに、落胆のため息をもらすことになる。どこへ行っても遺跡は放置されたままで、荒廃していたんです。そして、石ころだけが乗せてある新田氏累代の墓に手を合わせて、落涙した。
あまりの衝撃だったのか、小説内のあちこちで、この荒廃ぶりを表記している。

またあとがきには「新田義貞の出生地よりも遠くなるほど、義貞への評価、関心が高いように思われた」と書き残している。

つまり、地元である太田市が一番無関心だということなんです。
いつのまにか消えた遺跡さえあるという。
関連の寺や神社でさえそのようなのだから、
名前が消えても、気にならないんですよ。

そう地名さえなくなってしまった。
新田という地名は現在なくなっている。
2年前に消滅した。

もし新田次郎氏が生きていたら、どう思っただろうか?何と言っただろうか?
新田一族が守った名を残せ、と叫んでくれただろうか。
いや、それとも消えゆくもののために泣いてくれただろうか


新田次郎氏の話は次回に続きます。
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