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物語を物語る

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正義感ある少年を自殺に追い込んだものは何だろうか。

物語を物語る

ある事件の報道を聞いて真っ先に思い出したのが、藤原正彦「国家の品格」(新潮社)の一節だった。

私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父(註・新田次郎のこと)がいたことでした。父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と言われていました。
父は「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりするのは卑怯だ」と言うのです。私にとって「卑怯だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。だから、弱い者いじめを見つけたら、当然身を躍らせて助けに行きました。
私は体格がよく力も強かったので、必ずいじめている者たちを蹴散らしました。それを報告するたびに父は本当に喜んでくれました。あれほど喜んでくれたことは、他にはほとんど思いつきません。
〈中略〉
父の教えが非常に良かったと思うのは、「それには何の理由もない」と認めていたことです。「卑怯だから」でおしまいです。

昔は、いじめている側にも「これは卑怯なことだ」という負い目をはっきりと持っていた。だからこそ、弱い者いじめをする悪者を糺す「正義の味方」が登場すれば、その時点でイジメも終わった。
かつての日本人はそんな精神を持っていた。
だが今はどうだろうか。

いじめられた友を救えなかった 遺書残し中3自殺
平成22年6月9日 東京新聞夕刊http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010060902000191.htmlから

川崎市多摩区にある市立中学三年の男子生徒(14)が、いじめにあっている友人を救えなかったことに苦しんでいることをうかがわせる遺書を残し、同市麻生区の自宅で自殺していたことが九日、分かった。
 神奈川県警麻生署によると、七日午後四時五十分ごろ、帰宅した生徒の母親(44)が、自宅トイレで倒れている生徒を発見。救急搬送後、死亡が確認されたという。死因は薬品による中毒死とみられる。同居の祖母(74)が同日午後四時ごろ、トイレに入る生徒の姿を目撃していたという。
 同署の調べで、A4判の紙に手書きの遺書がトイレ内に残されており、文中にはいじめという言葉や、特定の友人の名前があった。「おれは正義感が強い性格」「友達を救えなかった」「十四年間、楽しい人生を過ごした」「人にやさしくという姿勢を貫いた」などという趣旨の内容だった。同署は、生徒が友人がいじめにあっていることを苦にしていたとみている。
 生徒は六日まで修学旅行に参加し、七日は代休だった。麻生署によると、友人らは「男子生徒は修学旅行中、楽しそうにしていた」と話しているという。
 この中学の校長は、本紙の取材に「生徒が亡くなったことにショックを受けている。いじめがあったかどうか調査した上で対策を考えたい」と話した。川崎市教育委員会指導課は「お子さんが命を絶ってしまったことは残念。スクールカウンセラーを派遣し、他の生徒の心のケアに当たる」としている。

こんな強い正義感を持った子が自ら命を絶たなければならないとは、なんと悲しいことだろう。

いまの学校では、イジメる側は常に多人数にあって優位な状態にあるから、一人では到底立ち向かうことなどできない。ましてや、友を救うなんてことは難しい。しかも、逆に助けなどすれば、刃向ったということで今度は「自分」がイジメられる対象がになるという陰湿なイジメの体質もある。
しかも親や学校に言えば「告げ口」をしたということで、これもまた新たなイジメの対象となる。
こんな状況では、どうしたってイジメられた子など救えることはできないのだ。
昔のように簡単にはいかない。
しかも問題なのはイジメる子供らの心の中に「これは悪で、卑怯なことだ」という意識が欠落している点にある。反対に、この正義感ある自殺した少年の中には、何が良いことで、何が悪いことか、ということをしっかりと分かっていた。しかもこの世の中では、正しいこと・良いことが筋を通して行われることは難しいということも分かっていた。
そんなことが分かっていたからこそ、余計に苦しみ、命を絶つところまで追い込まれたのだろう。

かつては、善行と悪行という区別がはっきりと分かれていて、それを大人はしっかりとそれを意識し、子供に教えていた。
だが、いまの日本人には、この美徳というべき精神(この少年が持っていた心)を失ってしまったようだ。
再び、藤原正彦「国家の品格」の引用。

私は「卑怯を憎む心」をきちんと育てないといけないと思っています。法律のどこを見たって「卑怯なことはいけない」なんて書いてありません。だからこそ重要なのです。
「卑怯を憎む心」を育むには、武士道精神に則った儒教的な家族の絆も復活させないといけない。これがあったお陰で、日本人の子供たちは万引きをしなかった。
ある国の子供たちは、「万引きをしないのはそれが法律違反だから」と言います。こういうのを最低の国家の子供たちと言います。「法律違反だから万引きをしない」などと言う子供は、誰が見ていなければ万引きをします。法律で罰せられませんから。大人になってから、法律に禁止されていないことなら何でもするようになる。時間外取引でこそこそ株を買い占めるような人間がどんどん生まれてくる。
家族の絆の中にいた日本の子供たちは、万引きなんかしたら「親を泣かせる」「先祖の顔に泥を塗る」、あるは「お天道様が見ている」と考えた。だから万引きをする者は少なかった。卑怯なことをする者が少なかったのも同じ考え方からです。家族の絆が「卑怯を憎む心」を育て、強化し、実践させる力となるのです。

『武士道』の中で新渡戸は、「武士道の将来」と題した最終章にこう記しました。
「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。〈中略〉その象徴(シンボル)とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」
「武士道精神」の力は地上より滅びません。まず日本人がこれを取り戻し、つまらない論理ばかりを頼っている世界の人々に伝えていかなければいけないと思います。

うす甘いサヨクがこれを読んでだら笑うでしょうか。しかし、この精神は、人々の心が荒廃がした今の世の中にこそ必要だと思う。
この少年の自死を無駄にしてはいけない。己の命に替えて訴えたかったことがあるはずだ。

続いて、西部邁「国民の道徳」(産経新聞社)からの引用。

……私徳というのは、自分の内面において、たとえば篤実・清廉に生きようと構えることであり、それにたいして公徳というのは、他者との関係において、たとえば公平・勇敢に生きようと努めることである。個人主義の弊害は、私徳についてはヒューマニズムにもとづいて喋々するが、公徳についてはほとんど一言もないという点である。両親・教師に課される義務の主たるものは、子供たちにたいして公徳を躾けることである。もちろん人々の外面的な関係を律するものとして法律があるわけだが、その法律はどのようにしてできているのか。ヒューマニズムにあっては、結局、私徳しか持たぬ人々が多数集まって、それぞれの便宜調整するための法律を作るという(社会契約論の)理屈になっている。自分は他者とどのようにつながりを持つべきか、つまり他者との協力・責任・情愛のあるべき姿はどういうものか、についての公徳がなおざりにされている。つまり、パブリック・マインド(公共心)にもとづくものとしてのリーガル・マインド(法律心)が欠如している。所詮、私徳の技術的調整として法律がつくられているものだから、対人関係における公徳が育たなくなっている。公徳にもとづかないような法律は、つまるところ、外的強制にすぎない。そういうものは、隙あらば破られる、ということにならざるをえない。公徳にもとづいて内発的に法律に従う、それが法律心のあるべき姿だといってよい。
しかし、子供にたいする公徳の躾がなおざりにされている。そういう子供が大人になれば家庭、学校、地域社会、職場、議会のすべてにおいて公徳の欠如が目立つことになる。公共心をなくした人々が、妄想に駆られて、殺人を犯してどこが悪いのだというふうに法律心を踏みにじるのは、近代個人主義のおおよそ必然の帰結といってよい。

藤原正彦は「武士道」から、西部邁は「公と私」の観点から語っているが、言いたいことは同じである。
現代日本の「道徳意識の欠如」だ。
道徳意識とは、「人間の行為・行動について正邪善悪を知り、また正善を志向し邪悪をしりぞけようとする精神。良心とは違い、自他を含めた社会全体に関係するもの」である。
いまの戦後学校教育においては、子供がこういった精神を養うことをあえて遠ざけてきた。(いまだにこの悪弊というべき思想が主導となっている)
今のイジメ問題は、道徳教育を避けてきた戦後民主主義的学校教育に主因があるように思えてならない。
正義感を持った少年を自殺に追い込まないためにも、根本からの見直しが必要なのではないか。

そして、これは、学校だけの問題ではない。学校が社会の縮図ならば、まさに社会全体の問題といえる。


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[344] 人格障害と分裂症
一線を越えて相手を感化したがる、探りたがる為に色々な事を仕掛けたがる。自分と違う趣味嗜好を気に入らなく思う。相手に置き換えた考えが出来ない。自分達はマトモと思いたいから相手にされないと不機嫌に成る。立場的に自分が上でないと気に入らない。自分を好かない、興味を持たないのが気に入らない。妬み嫉妬心が強い。愉快犯的、悪性悪癖、逆恨み心が強い。人格障害、現実を直視したく無い。弱い者や小動物を巻き込む、ストレスやヤツアタリの矛先を性的や虐待によりる捌け口に利用する。正義や悪性の理念に一貫性がなく物事や事例、他人、家族、人、動物、物、キャラクターの区別が付けられなく同一化したカルト的な感性が有る。精神分裂症。異常な感性を持つ、悪性の団結をしたがる。などの精神者達が錯綜錯乱の判断の元で野放し状態に成っている。これ等が学校の虐めや集団ストーカーと成り、職場や地域に根付き嫌がらせや困らせ、小動物の虐待に関与している。

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