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守らねばならない「ぎりぎりのもの」~吉田松陰とサッカー日本代表チーム~

物語を物語る

何となく前回の続き
自分の考えと合い、これはいいと思うものを転載してみました。

中西輝政「日本人のこころとかたち」(PHP)の守らねばならない「ぎりぎりのもの」の部分から。

日本の存立を考えた戦略家・松陰
近代国家の運営において、どこの国でも重要なことは、「戦略を考える立場の人間がどれほど物事を深く考え、同時にそれがその人たちの使命感(こころ)とどれほど固く結びついているか」ということです。それによって、その国の運命は決まってくるからです。
現在、日本の国のあり方を根底から考え直さなければならない時代に直面しています。「これからの日本」という大きな国家戦略を考えるとき、深い使命感と結びついた戦略的思考が何よりも問われる時代が到来していると思います。
では、そのような点で貴重な示唆を与えてくれる先人が、我々のなかにいるのでしょうか。こう尋ねられたならば、二十一世紀の日本の進むべき大きな方向と重なり合っているという点、つまりこれまでとは違う新しい視点から、今、我々はもう一度、吉田松陰に注目すべきだと思います。
たしかに松陰はこれまで「至誠の人」と表現されるような精神の純粋性と強い使命感、責任感を有した人として広く知られ、尊敬されてきました。
しかし、松陰は、激しい国際環境にもまれ、文字通り激流に浮かぶ木の葉だった幕末という時代に、日本という国の存立のための戦略を、同時に深く鋭く考えていた数少ない日本人だったのです。
これは、山鹿流兵学を家学とする家の跡取りとして鍛えられた「兵学者・松陰」としての一面でもありました。そして、「兵学者」としての戦略的思考と「至誠の人」の使命感は、松陰のなかでは他に例がないほど深く結びついていたと私は見ています。
これまで松陰は、思想家や教育者などの面から語られることが多かったように思います。いずれの場合も重要であり、また強烈なイメージを後世に伝えているのは間違いありません。しかし、現代の私たちは、その総合的な人間像、何よりも「兵学者・松陰と至誠の人・松陰がどう結びついていたか」というところに、より大きな関心を向ける必要があると思います。

「自分が国のために何ができるか……」
吉田松陰がアヘン戦争のニュースを耳にしたのは、十五歳のときでした。兵学者ゆえにいち早く西洋の脅威に気が付き、以後「この脅威の本質は何か」「西洋諸国と戦争して勝てるか」ということを考え抜いていくことになります。
十代後半の松陰は、そのために猛勉強をしました。ロシアがカムチャツカ半島まで達したことはペリー来航以前に知っていましたし、イギリス艦隊の編制、船に積んでいる大砲や陸兵の数という情報まで入手していますが、それだけではありませんでした。「日本はどこから攻められると一番危ないか」という問題意識をもって日本各地をくまなく見聞してまわり、すでにペリー来航の前年には、遠く津軽半島にまで足を延ばしていたのです。
この頃の松陰は、公的には長州藩の末席にいる一人の武士でしかありません。しかも、形の上だけの兵学師範の跡取りでした。日本全体の外交、国防を担うのは幕府であり、その意味で松陰は正式に何の役目もない、一民間人にすぎない存在でした。そういう二十代前半の若者が日本国中を歩き、海防対策を考えるという行動をとったのです。
この行動力と知性を支えたのは、松陰の精神性(こころ)といえるでしょう。「こうだ」と思ったことは実現しなければいけない。他人ではなく、自分がどうするかが大事なのであり、自分の身を厭い、利を計る、ということは松陰の眼中にありませんでした。それはJ・F・ケネディの有名な言葉「国は自分に何をしてくれるのかを考えるのではなく、自分が国のために何ができるかを考えなければならないときがある」を連想させるものがあります。
民主主義が国民が主権者です。しかし、そもそも「主権者」とは国に対し最も重い責任を負い、時に自分を犠牲にして、与えられた部署でそれぞれの役割を喜んで果すものなのです。そういう民主主義の主人公である「主権者像」が松陰の口をついて表れたのが「草莽崛起(そうもうくっき)」<民間人が立ち上がる>という言葉だったのです。
残念なことに、現在の日本では「有権者」という座にあぐらをかきながら、自分が主人公、当事者である、という感覚を持たない国民が大手を振って闊歩しているように思います。よくも悪しくも国民を代表するのが民主主義の指導者だから、国民が「まとも」にならなければ、この国はまともな指導者を持つことはできません。本来の主人公である国民の自覚、これが切実に求められていると思います。

技術ではなく精神こそが、国を守る最後の押さえ
しかし、ただ「立ち上がって」闇雲に走り出すことが良いということではありません。
兵学とは戦略論です。「自らが日本の国としての存立を担わねば」という強い使命感にうながされつつも、「いかにして夷狄に勝つか」ということを戦略的思考で考え抜いた吉田松陰が得た戦略は、「尊皇攘夷」ということでした。
ただし、普通にいわれるところの尊皇攘夷――日本は神の国であり、それゆえにこの日本にはどんな夷狄も入れてはいけない――とは異なります。松陰の場合、「(始めに)勤王ありて攘夷にあらず。攘夷なるがゆえに勤王たるべからず」という彼の残した言葉が示すように、「尊王は国を救うための戦略であり、攘夷のためこそ開国し、西洋の進んだ文明の利器を導入する」という合理的で深く戦略的な発想があったのです。
つまり、「攘夷」は討幕をするための戦術としてあるもので、「開国」も和魂つまり日本のアイデンティティを再生するための方便だったのです。そこに、日本が守らなければならない「ぎりぎりのもの」があるという、国家戦略の出発点をしっかりと把握していたのです。そして、それは失ってしまえば、日本は必ず滅びる、と深く考えていた点で、松陰は、いわば世界史の普遍性と結びついた本当の攘夷論者であったといえます。
では、松陰が見出した守らなければならない「ぎりぎりのもの」とは何でしょうか。
それは古来続いてきた日本のアイデンティティであり、日本の精神文化です。そしてそれがまた、戦略的にも日本防衛の最後の拠り所と考えたのです。
そのことは、佐久間象山の門下に入って西洋の軍事技術を学んだ後に詠んだ次の句に象徴されます。
「備えとは、艦(ふね)や砲(ほう)との謂い<意味>ならず、この敷島の大和魂」
一見すると「竹槍云々」といった昭和の軍国主義者の走りなのではないか、と、受け止める向きがあります。しかし、それは大間違です。
「大砲、船などの技術は必要だが、これはどこまでいっても外来の才に過ぎない。守らなければならない日本の精神性(こころ)が、この国を守る最後の押さえでもある。この一点を押さえていたら、我々は、より有利に外国と競争できる」という意味だと私は理解しています。この松陰の戦略は、一言でいうと「和魂洋才」ということなのです。そして、この松陰の発想こそ、世界のどの時代の文明史にもあてはまる普遍的真理を伝えるものです。

他国も認める「日本文明」
吉田松陰が達したこの「和魂洋才」の哲学こそ、日本という国についてつねにあてはまる「国家戦略」の基本といえるものです。そのことを、文明の視点から私なりに説明しておきたいと思います。
日本が属する文明は「日本文明」です。十九世紀に日本に来た西洋人たちは、「この国の精神文化は、同じアジアの国とはまるで体系が違い、ましてや西洋とは全く違う」と口々にいいました。これは二十世紀の文明論者トインビーであれ、現代のサミュエル・ハンチントンであれ、みな同じことを指摘し、西洋キリスト教文明、イスラム文明、中華文明などの文明圏と並立する、一つの独立した文明圏として、「日本文明」を挙げているのです。
日本以外の他の文明は、一つの文明圏の中にたくさんの国が属していますが、日本文明だけは一国で一文明をなしています。この「一国・一文明」というところに「日本の宿命」があるのです。
もし、国が滅びたらどうなるのでしょう。たとえば、イギリスという国が滅んでも、イギリス人には宗教や精神文化、生活習慣などで、ほとんど共通している国が何十ヵ国もあります。イスラム文明でも中華文明でも同じであり、同じ文明圏のどこへいっても、自分の持っているアイデンティティを放棄せずに生きていくことができます。
しかし、日本は違います。日本人によっては、国家の運命と文明の運命がまったく重なり合っているのです。国が滅べば、私たちの精神の拠り所、アイデンティティをなくしてしまうことになるのです。だからこそ、松陰のみならず、西洋の脅威にさらされた幕末の日本では、あれほど強烈な危機意識が生じたのです。

日本人は「誇り」と「宿命」を忘れている
松陰は、この一国・一文明という日本の本質を的確にとらえ、「文明の核となる精神を崩したら、日本文明は滅び、この国も滅びる」、と同時に「国が滅びれば、日本の心も永遠に滅びる」と考え、戦略と精神の両立の必要を深くとらえました。
そこで、古代から連綿としてある「和魂洋才」という日本史に普遍的な日本の生存戦略に、誰よりも深く思い至ったのです。和魂をなくしたらいずれ日本人は「無魂」になり、無魂になれば、いずれ必ず「無才」になっていくことの恐ろしさをわかっていたのかもしれません。
「まず日本の精神性というものがあって、その上に外来の物質文明を接ぎ木する。そこに日本の生存が開けていく」、決してこの順序が逆になってはいけないのである。
この「和魂洋才の国家戦略」はまさに明治維新の選択でした。しかし、二十世紀の日本人は「大国になった」と意識したとき、この「日本の宿命」がもつ重さを忘れてきました。二十一世紀の日本が直面している問題の本質は、ここにあると思います。
日本の場合、つねに「戦略と精神」つまり「型と心」は、深く一体でなければならないのです。


これを読んでいて真っ先に思い浮かべたのが、ワールドカップ日本代表らの言葉であった。彼らは何度も「日本人としての誇り」という言葉を口にしており、それが強く印象に残っていた。
例えば、闘莉王選手の「僕は日本人になったことを誇りに思う」とか、松井大輔選手の「日本人としての誇りを感じる」とかいったこと、また岡田武史監督の「ピッチの中でも、日本の代表として、日本人の誇りを持って、脈々とつながってきている日本人の魂を持って、戦ってくれた。この選手たちを、本当に誇りに思います。」や「日本人の誇りを持って、またアジアの誇りを持って、最後まで戦ってくれた。」といったものだ。
試合という「ぎりぎり」の戦いの中で、選手や監督たちの最後に拠り所となったのが、「自身のアイデンティティ=日本人としての誇り」だったということなのだろう。
上記で引用した文章の「誇り」「精神」「守るべきもの」といったものと通じてくる。
また上記引用部分に「松陰が見出した守らなければならない「ぎりぎりのもの」とは何でしょうか。それは古来続いてきた日本のアイデンティティであり、日本の精神文化です。そしてそれがまた、戦略的にも日本防衛の最後の拠り所と考えたのです。」とある。まさにこれに尽きると思う。

今回のワールドカップは、図らずも日本国民全体に日本人としてのアイデンティティを思い起こす契機になった。
それは試合に勝った負けたといった結果以上のものを、国民にもたらしたのである。
それは日本人が失ってはいけないもの、「日本人のこころ」「大和魂」ということであり、サッカー日本代表チームがそれを教えてくれたのだ。

どんな偉い評論家の言葉よりも、一国の首相の演説よりも、ワールドカップの一勝の方がよほど重みがあるということだ。

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