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物語を物語る

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読売新聞の「今に問う言葉」から

物語を物語る

読売新聞に「今に問う言葉」というコラムが週一で掲載される。昔の評論家の言葉が紹介され、選者による短い解説が付いている。これが結構ためになり、また心に響く。
5月ごろは徳富蘇峰の言葉が掲載されていて、当ブログでも書き起こしていた。過去記事
先月は、福田恆存だった。
保守派ばかりかと思ったら、今回は戦前のリベラリストの評論家・清沢洌という方。(やはり松岡正剛の千夜千冊が詳しい。)
全く知らなかったのだが、今回掲載されたものを読んで興味が湧いた。
以下書き起こし。

「注意すべきは発足期にたつ支那であって、日本の時代は過ぎたのではないか」
清沢洌(1929年10月、『転換期の日本』)
世界恐慌頃に清沢洌(きよさわ きよし)が外国人から聞いたとして書き著している言葉だが、状況説明のために清沢自身が作り出した言葉といってもよいであろう。「日本はもう行くだけ行ったのではないか。進むだけ進んだのではないか。生々たる発育期をすぎて、静止状態に入ったのではないか」という文章が続く言葉である。
日本の息詰まりは常に隣国中国の勃興との対比で語られるというのが近代日本において繰り返された思考のパターンであることがよく理解される言葉といえよう。現在我々は何回目かのこのパターンに入っているわけである。
清沢は言う。「日本は今悩んでいる。日本はどこへ行くのだ、日本は何をするのだ、日本はどうなるのだ。そういう声が、秋の稲穂が風にささやくように、どこからともなく聞こえて来る」「現代日本の著しい特徴は悲観と不安である」。悲観と不安の中このパターンはどのようにして乗り越えられて来たのか。歴史に学ぶべきであろう。(筒井清忠・帝京大教授)

確かに現代の日本の閉塞感と当時の状況がよく似ている。1929年だから昭和4年(なぜ元号で書かない?昔のものは元号の方が分かり易い)というから昭和初期の戦争前において清沢は何らかの危機感を感じていたということだろうか。

それにしても、この新聞記事を読まなかったら、清沢洌という人物を知ることもなく、こういうことを言っている人がいたということも知ることはなかった。
優れた先人たちが語る現代にも通じる鋭い言葉も、それらを掘り起こす人や広める人たちがいなければ、埋もれたままになってしまう。
それこそが日本の国にとって、また日本人にとっての大きな損失ということになるのだ。
先人達の言葉に耳を傾け、歴史に学ぶ姿勢を持つことが今の日本に必要だ、ということがこの「今に問う言葉」コラムでよくわかる。
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消えた二十二巻

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