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物語を物語る

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「賜杯」の意味。天皇と相撲、そしてこの国の体質。

物語を物語る

平成22年7月28日の毎日新聞から
「江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の肉筆画で所在不明になっていた「鍾馗(しょうき)図」と「三福神の相撲図」を栃木市出身の旧家が所有していたことが分かり、同市が27日発表した。2点の存在は1975年ごろに確認されたのが最後。専門家によると、現存する歌麿の肉筆画は40点ほどしかない。所有者から寄託を受けた市は年内にも一般公開したいとしている。」
この中で気になったのが「三福神の相撲図」だ。産経新聞に説明があった。
「縦約82センチ、横約39センチ。七福神の恵比寿が行司役で、大黒天と布袋が相撲をとる様子が描かれ、縁起がいいという。2作品とも1790年代前半の作品とみられ、ヒゲの一本一本まで詳細に描かれ、ダイナミックかつ繊細なのが特徴だ。」
三福神の相撲図
そうこれは「縁起物」だ。七福神が出てくるのはもちろんだが、「相撲」を描いていることも縁起がいいことの一つになっている。
その理由は、相撲が天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事だということに他ならないからである。

それを踏まえて以下の記事を読んでみましょう。
平成22年7月26日 読売新聞「よみうり寸評」から。

「この国の横綱として、力士代表として天皇賜杯だけは頂きたかった」白鵬は日本人以上に日本の力士として名古屋場所を勤め上げた◆「この国の…」を聞いてそう思った。その思いで15日間を勝ち抜いた。3場所連続全勝優勝、47連勝の偉業をなしとげ、一人横綱の重責を果たした白鵬に喝采(かっさい)。千秋楽、把瑠都とのがっぷり四つの力相撲には感動した◆力士が土俵上で踏む〈四股(しこ)〉は地中の邪気を祓(はら)い、大地を鎮める神事に由来する。今場所の横綱は地面の下の悪霊を踏みつける思いで四股を踏み、土俵入りを務めたのではないか◆優勝旗を受けた白鵬の目に涙があった。賜杯を始め、いつもの場所なら続く数々の表彰がない。NHKのTV中継もない。異例、異常で不名誉な場所だった◆大相撲存亡の危機の名古屋場所を全勝で乗り切った安堵(あんど)と、大記録の達成が「こんな場所なので」素直に喜べない悔しさ残念さが、ないまぜになった涙だろう◆数々の不祥事は積年の病弊の噴出だ。改革の断行なしに大相撲の明日はない。

また『前日の表彰式で涙が止まらなかった白鵬。「国歌が終わり、土俵を見たら、いつもなら置いてある天皇賜杯がなく、さびしくて自然に(涙が)出た」と理由を話した。』という話も伝わっている。

いま「相撲は神事である」というのが分かっているのは白鵬だけである。
こういう原点を国民も力士も相撲協会も見失っている。
今一度そこに立ち返る時なのだ。
過去記事一覧
「神事としての相撲」その3 力士は日本の土地を守る防人だ。
「神事としての相撲」
「神事としての相撲その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。」
朝青龍マレビト論
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?

なぜ力士は地方を巡業するのか。
なぜ神社で奉納相撲が行われるのか。
なぜ四股を踏むのか。
なぜ古墳に力士の埴輪があるのか。
なぜ幕末に黒船が来たときに力士が出迎えたのか。
そして、なぜ天皇陛下から力士へ顕彰が行われるのか。
「相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事」であり、それが「古来から皇室とつながるもの」であることを基本としなければ「相撲」はその存在価値がない。
国技である相撲と脈々と続く皇室は「日本」を守るという点において強く結びついている。
だからこそ「賜杯」は大きな意味を持っている。
皇室がスポーツ選手や文化人を顕彰する意味は過去記事「園遊会」と「福沢諭吉」で。
白鵬はそこに気づいているからこそ、あの涙があると、私は解釈した。

丸谷才一、山崎正和の対談集「見わたせば柳さくら」(中央公論社)から相撲に関する部分を少し引いてみましょう。

丸山: あれは(相撲)発生的にいえば格闘技ではなくて、神事なわけですね。だから、神事であるという意識が、国民の精神の表層を二、三枚はいだところで、ずっとつながってきていると思うんですね。それがあるから、こんなに長い間もっているので、この意識がなかったら、もうとうに滅んじゃっているでしょう。
<中略>
折口信夫の説によると、もともと相撲の発生状態では、勝ち負けが決まっていたというんです。
……つまり、儀式なんです。勝ったほうの村の田圃の稲がよくできるというおまじないの儀式であった。それが、しだいに呪術的起源が忘れられて、単なる勝ち負けのお遊びになってしまったというわけですね。
山崎: ……少し後の時代でも、東方と西方というのがあって、東が勝つと野のものがよく実る、西が勝つと山のものが実る、というような呪術的な信仰があったようですね。
<中略>
ある百科事典によると、相撲の語源は「素舞い(すまい)」であったという。つまり、伎楽とか舞楽が面をつけたり衣装をつけて舞うのに対して、こちらは裸で舞うという意味で、「素舞い」だったというんですね。
……最初から相撲というのは、舞いの一種だと考えられていたのであって、格闘技だとは思われていなかったかもしれません。
……しかし格闘技になりながらでも、神事の名残という気持がするほうの人にも見るほうの人にも、脈々として残っていたということですね。

山崎: それにしても、歴史的アナクロニズムの話が出ましたけど、相撲のもっている儀式性というか呪術性というか、これまた実に重層的で、ごちゃまぜですね。どうみても、これは神道にまつわる行事という側面をもっているんですね。実際に、聖武天皇のときですが、豊作を感謝して、伊勢神宮その他もろもろの神社に奉納するために相撲をやらせた、というのが残っていますから、これはもう、明らかに日本の神道ですよ。

山崎:天子は南面するんですね。というと相撲の正面というのは北側なんです。天子が南面するものだとすると、その両側に東西を配するのは当然のことでありまして、日本の天子の持っている中立性というものの象徴です。
しかし、天子は常に南面して、左右を争うに任せている。そう気がついたとき、ふと面白いと思ったのは、日本の国土を、東日本、西日本というでしょう。日本という国土は斜めになっているんですから、南日本、北日本でもよかったはずだけれども、一般的には明らかに関東、関西です。今度、そう考えると、分かるような気がするんです。つまり、天子は南面しているんだから、観念的に南面してるんですから、東と西しかあり得ない。

天皇と相撲と神道は深く結びついているのだ。
そして、服装などひとつ取って見ても相撲の中に日本の歴史と文化が詰まっていることは分かる。
行司の服装は平安時代以降の公家のものであり、手にする軍配は室町・戦国時代以降の武家のもの。相撲取りの紋付・袴に髷姿は江戸時代、観客の桟敷も呼び出しも江戸時代、そして力士のまわし姿は埴輪の時代からその原型があるわけで、あの場所に日本の伝統歴史が融け合っているのだ。
そこを忘れてはいけない。
「相撲」に関して論ずることが、実のところこの国をかたち作っている根本は何なのかということを、再認識するいい機会なのかもしれないと、いつも思う。
それは、「皇室」を考える上でも重要なことなのだ。
そういったことを総合して何度も言うが、天皇賜杯の意味をよく理解しているのは、白鵬だけなのである。

さて、以下長文を引用します。相撲とはあまり関係がないかもしれないが、「皇室」に関してなるほどいい例えだと感心したので引いておきます。
三浦朱門の『天皇』(海竜社)から    

どの国にも、それぞれの体質がある。

外来文明は日本の伝統にとって、いつでも問題をおこす。第一は奈良時代であり、次は戦国時代と同時にやってきたキリシタン文明は、大航海時代といわれるヨーロッパ勢力の世界進出の、日本における波動であったかもしれないが、この外来文明は日本の根幹を揺るがす大問題となった。このときは鎖国政策によって事の解消を図った。
その次は幕末から明治の西欧文明の本格的な輸入である。明治政府は外来文明と伝統文化との調和を図ろうとして、ある程度成功したかに見えたが、第二次世界大戦という形で破綻を見た。戦後、また新しい西欧文明の輸入があって日本の繁栄をもたらしたのではあるが、また別の混乱を招いてもいる。
どこの国にも、その国の個性といったものがあって、それによって新しい物を生みだしもするし、伝統的なものを保持することもある。この個性はまた、外来の物への対応に際してもさまざまな働きをする。

アメリカは新しい国だし、さまざまな文化的背景、遺伝子を持った人々が造った国家だったから、国の体質を言わず語らず、といった不定形なものに頼ることができず、いわゆる成文憲法を作った。その後、多くの修正条項を加えたが、それは憲法の意味が誤解されそうになった場合、あるいは新しい現象が起きて憲法の条文の精神を生かすために、その新現象の意味を明確にせねばならない場合に、憲法に付加条項がつけ加えられた。
同じアングロサクソンが主体になって造られた国である英国の場合は、アメリカ的な意味での成文憲法はない。日本なら最高裁にあたる裁判所での判例が、憲法的な意味を持つとされる。それが英国の「国の体質」という、つかみどころのない物を示すものとされてきた。
いずれにせよ、一つの国家の体質というものは、言葉で表わされる部分もあるが、言わず語らずのうちに、人々の間に分かたれている部分もある。
国家の体質を舟に例えてみる。勿論、大きな船もある小さな船もある。その構造も、用途も一応はさまざまである。いずれにせよ、船全体が、その国の体質、そのものとする。多くの国民は自分の乗る船のごく一部しか知らないし、知る機会もない。ただ船に乗り合わせた人々の間の秩序維持については、船の構造に関連してそれなりのルールがある。その代表がブリッジで船の運行の任にあたるのだが、彼らも、船内状況のすべて、倉庫の中や燃料の状況、機関室やそれらの部署に勤務している人々の状況を把握しきっているわけではない。
ただ一般的に言えることは、船の重心が喫水線より高ければ、船は不安定である。わずかな波にも大きく揺れるし、揺れた結果、船の重心から下ろした垂線が、船外に外れると船は転覆する。逆に重心が喫水線よりずっと低いところにあると、揺れは小さいし、転覆の危険は遥かに小さくなる。
だから重心は低い方が安定度は高いのだが、それはまた、危機への対応の鈍さにつながるかもしれない。そもそも船が揺れるのは波浪の影響である。台風が来れば波浪も大きくなる。しかし重心の低い船は動揺が少ないことに安心して、台風の発見も遅れ、危機感も鈍くなり、その結果、抜き差しならならぬ状態で危機に直面することになる。
重心の高い国は不安定で、それだけに波浪の影響も受けやすい。それで台風が来ると真っ先に転覆してしまうのだが、国民もその辺を承知していて、さっさと船を捨て逃げてしまう。いわゆる難民になる。また危機への対応は一つにはブリッジにいる運営の責任者の手腕によるとは言いながら、全員が天候の状況に敏感になり、大事に到る前に舵取りを正しく行うこともできる。
日本という国の重心が高いのか、それとも低いのだろうか。
今から千数百年前は不安定だった。いやそもそも日本という船は出来ていなかった。船が建造される過程を、私はこれまで書いてきたつもりである。日本という船の重心にあたるのは天皇であると私は思う。当初、重心は高かった。天皇は国土の範囲を定める戦いでは陣頭に立ったし、国内の政争でも自ら軍を率いて戦った。しかしまもなく、重心は低くなる。歴史という貨物が次々に積み込まれて、重心は低くなる一方だった。
中国の場合は、王朝の交代によって、歴史という貨物は整理され、船外にほうりだされたから、重心は常に高いところにあり、時代の変化にも敏感に反応していた。つまりこの国は有史以来何度も転覆を繰り返してきたのだが、積み荷が波にさらわれることで、船体が軽くなり、再び浮上することを繰り返してきたから、転覆の経験は忘れられ、数千年わたって嵐を乗り切ってきたかのような印象を国民が持つようになった。確かに船体は三千年来、同じ物を補修して使っている。
日本は王朝の交代がなかったために、重心は低くなり、ついにはほとんどの乗組員には重心の存在は意識されないようになる。そしてブリッジにいる船の運行にあたる人たちは、自分が船の全責任を負っていると錯覚するかもしれないし、重心の存在を知らない国民もいようが、ほとんど船底近くにある低い重心が船を安定させていることを、忘れてはなるまい。

天皇は日本文化の重心、変わりにくい部分

日本という船は何度か転覆の危機を経験した。他の国なら革命とか王朝の交替が行われる事態である。しかし重心の低さによって、その度に復元してきた。
第二次世界大戦の敗北は象徴的に言えば、船の甲板が垂直になり、海中にほうりだされた人も多く、船室の中に水が入り、居住区は混乱し、荷物のかなりの部分は水に浸かった。しかしこの度も日本という船は転覆せずに復元したのである。
社会学という学問を作ったといわれる人で、フランスのオーギュスト・コントという学者がいる。彼は社会に変化する部分と、比較的変化しにくい部分があるとして、社会静学と社会動学があるとした。変化する部分、社会動学のほうは観測しやすいから、彼はその部分から手をつけたが、社会静学は学問としての可能性を示したに止まった。
社会に敏感に変化する部分と、比較的動かない部分があることは、昔から日本でも気付かれていた。俳諧の社会にも不易流行という言葉がある。変わらざる部分と、流れ行く部分である。そして日本にあっては天皇の存在は不易の分野に属する。勿論、それは人間の制度であって、日本という国家、社会の体質も長い間では変わるのである。その変化の形によっては、不易といわれる部分も、時代と共に変わっている。
日本にあっては、天皇の存在が船の低い重心となり、また比較的変化をしない部分となってきた。その変わりにくい部分が日本という国の体質、つまり日本的なもの、日本の意識的・無意識的な価値観、つまりは日本文化そのものであろう。天皇はこうして日本文化の重点であり、その揺れを示す座標でもある。
この世に永遠なものはないから、将来、日本に皇室がなくなる時が来ないとは言えないが、その時、われわれは何によって日本を代表させようとするのか。大統領制はその一つの答えであろう。日本が共和国になって、大統領を持つようになったとしよう。
戦後の総理でマスコミや国民の間で圧倒的な人気のあった人、たとえば田中角栄や細川護煕という人などは、その人気の絶頂時、総理就任直前に大統領選挙があれば、選挙民の過半数の支持を得て、大統領に選ばれた可能性が極めて高い。しかしこの二人が総理をやめた事情を思えば、国民は彼らを大統領にしたことを後悔するのではないだろうか。
大統領は国民が選んだもので、今の総理より遥かに大きな権限を持つようになろう。いまでも選挙民に直接選ばれる知事は都道府県内では、総理より比較的大きな権限を持っている。大統領が私情に基づいた人事を行って、妙な人を公職につかせ、退職後のことを考えての開発事業を行ったり、私行上の問題などを起こせば、国民はこんな人に日本を代表してもらうわけにはいかない、という気になるだろう。
その点、お気の毒でもあるが、皇室は千年の洗練を経て、誠に清潔な環境に置かれている。天皇がインサイダー取引をして、不当な利益を得たり、ホステスと浮名を流すことなどありえないのである。
ローマにパンテオンという、今日に残る最も完全な古代ローマの遺跡がある。それは巨大なドームを持つ円形建築だが、その中央部に丸い穴が開いている。そこから太陽の光も入ってくるし、雨も降りこむ。それが無かったら、ドームの中は照明をしようとも、暗く封鎖されて息苦しい世界になるだろう。
私は日本の民主主義というのは、このパンテオンのようなものだと思う。民主的な構造を持つドームの中央に穴が開いている。その空間が皇室である。空間というより無と言ってもよい。力学的に組み上げられたドームの巨大な重力はそのドームの中心に集中するが、頂点の空間は、いわば無重力地帯である。
民主主義というのは多分に堅苦しいもので、その運営や手続きは面倒なものである。その規制と規約によって作られた国家体制の中央にあいた空間、それが天皇だと言えないだろうか。
ドームの内部を支えているのは、一つ一つ組まれた石材だが、何もない空間ドームの床に丸く太陽の光を投射する日もあり、雨の日は床の一部を濡らすこともある。そして何よりもその空間のおかげで、ドームの中は昼間であれば、何時も穏やかな光が満ちあふれているのである。





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