スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新田一族に関連した地名・「笠懸」が消えたのは、いまさらだが口惜しい。

物語を物語る

平成22年10月11日 上毛新聞から  

疾走する馬上から矢を射る「笠懸の武技」が10日、みどり市笠懸町鹿の「吹上地区ひまわり畑」の特設馬場で行われた。青空の下、大勢の観光客が勇壮な武技を楽しんだ。
 源頼朝が新田荘(現在の太田市付近)で狩りをした際、風に飛ばされて地面に転がった従者の笠(かさ)を見て「射よ」と命じたのが笠懸の始まりとの伝承があり、同町の地名の由来になっている。
明治期以降は行われなくなっていたが、旧笠懸村の村政100年記念で1989年に復活した。地元住民でつくる笠懸保存会(大沢嘉久会長)が同ひまわり畑のまつりに合わせ、毎年この時期に行っている。
武技は笠懸のほか、流鏑馬(やぶさめ)も行われた。射手が鏑矢(かぶらや)を的に当てると、観光客は歓声を上げて喜んだ。

さて、この祭りがあった周辺はかつて「新田郡笠懸町」とよばれていた。しかしいまそこは「みどり市」という。
「2006年3月27日に群馬県新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村が合併し、群馬県12番目の市として誕生した。また、平成の大合併において、群馬県で新たな市として誕生した唯一の市である。この合併により新田郡と山田郡は消滅した。」とあるように、これによって「新田郡」もなくなり、歴史ある「新田」の地名も完全に消えてしまった。4年前のことである。

Wikipediaの「笠懸」の項目には以下の通り記載されている。

笠懸(かさがけ)とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を放ち的を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式・様式のこと。流鏑馬と比較して笠懸はより実戦的で標的も多彩であるため技術的な難易度が高いが、格式としては流鏑馬より略式となり、余興的意味合いが強い。流鏑馬、犬追物と並んで騎射三物と称された。現在は笠掛とも表記する。群馬県新田郡笠懸(かさかけ)町(現みどり市)の名は、源頼朝がこの地で笠懸を行ったことに由来するという。


吾妻鏡」にはこうある。http://katohjuk-web.hp.infoseek.co.jp/aduma13-04.htmのサイトから。

建久四年(1193)四月小廿八日甲子。將軍家、上野國自り還御す。
此の間、 式部大夫入道上西 〔足利式部大夫義國が息新田大炊助義重〕の新田舘に於て御遊覽す。
其の所自り直に還御すと云々。

現代語:建久四年(1193)四月小二十八日甲子。将軍頼朝様は、上野国(群馬県)からお戻りです。この間に、式部大夫入道上西〔足利式部大夫義国の息子の新田大炊助義重〕の新田の屋敷で遊覧しました。その場所から直接お帰りだそうです。

参考:式部大夫入道上西は、新田義重。義国の子。義家の孫。上州新田庄に住み新田本家発祥。異母弟が源性足利氏。

源頼朝が新田荘を訪問したのが4月、その翌月の5月に有名な曾我兄弟の仇討事件が起こるわけだから、そういった意味でも興味深い。

検索すると、もっと詳しいことが分かる。
「新田乃庄」のホームページから
http://www.nittanosho.com/p/dorayaki/index.htm

超大判どら焼き「源氏相伝」由来

建久4年春、征夷大将軍、源頼朝公は、下野国那須野から上野国三原の辺りで狩りをされたことがありましたが、
鎌倉へお帰りの途中、新田義重公に招かれ、新田の館と呼ばれていた彼の居城「寺尾城」に立ち寄られて何日かを過ごされたと、史書「吾妻鏡」は伝えております。
言い伝えによれば、このとき義重公は、新田の勇士の中から豪弓の使い手3人を選び、流鏑馬を披露いたしました。
その日は折悪しく風が激しく吹き荒れていましたが、射手たちは舞い上がる砂塵を物ともせず、松に懸けた陣笠を見事に射抜き、頼朝公より恩賞を賜りました。
ときに頼朝公は「ここ新田の庄の新田原を、これより『笠懸野』と呼ぶがよかろう」と
命名されたということです。
また、義重公は宮廷に大炊介として仕えたことがあり、接待料理の製法にも詳しかったので、この日、頼朝公のために、陣中の大銅鑼を焼鈑の代用として、即席の焼き菓子を献上しましたところ、頼朝公は殊のほかお気に召されて、「おお、まことに佳き味よ、以後源氏の相伝とせよ」と賞讃され、義重公は大いに面目をほどこしたということであります。以来、新田の庄寺尾城より伝統の名菓が、しばしば鎌倉大将軍に献上されてきたと伝えられております。

この「新田乃庄」や「寺尾城」は前に書いてました。過去記事 新田一族ニュース、「新田義重と寺尾城」読売新聞から。

「笠懸」という地名は、こうやってみても歴史的に由緒ある地名なのだが、合併するとあっさりとこれを捨ててしまった。そして新しく付けた市名が「みどり市」っていうのでは、あまりにも安易すぎやしませんか。
ひらがな地名のイタイ名前として「さくら市」や「みどり市」がよくネットで挙げられてますよ……。(変な形で全国区に。残念。)

そしてなによりも、これで新田一族の関連した地名がなくなってしまったのが悲しい。「新田郡」を。

歴史ある地名は残した方がいい、と常々思う。
過去記事 「安土」の地名を消すな! そして「新田」の地名を再び!


そして、ついでに「さくら市」というのも調べていたら……、
なるほど……、
これも、
新田義貞に関連した所だったのか……。

続く。
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2010年10月 26日 (火)
  ├ カテゴリー
  |  └ 新田義貞、新田一族の話
  └ 新田一族に関連した地名・「笠懸」が消えたのは、いまさらだが口惜しい。
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。