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物語を物語る

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自国を守るものは、軍事力と経済力、そして文化力。

物語を物語る

「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていたら、宮崎哲弥が、「武力に及ばない外交交渉や政治交渉というのは、戦争に及ばない武力に依存している、各国はこの原理原則に従っている。」と言って会場内で拍手喝さいを浴びていた。
結構分かりにくい表現なのに、スタジオ観客者は本当にこの本意を咄嗟に理解できたのだろうか。
検索すると、この意味するところが分からず質問していたものがいくつかあった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1149987146「ヤフー知恵袋」から。
ここでは、「外交交渉や、政治交渉は、武力を使ってするものではない。口でするものだ。しかし、その外交交渉や、政治交渉というのは、戦争をするための武力、つまり持っている兵器や兵士の質と量に左右される」というものが回答で出いて、これは分かりやすかった。

さて、私はこれを聞いて、ちょっと前に新聞コラムで読んだ「アンソニー・イーデン」の話を思い出した。
記事は以下のもの。
平成22年10月9日付け 読売新聞コラム「五郎ワールド」橋本五郎 日本外交を考える~イーデンの栄光と挫折~
(以下、全文。太字がその部分。)

1977年1月14日、英元首相アンソニー・イーデンは79歳の生涯を閉じた。その日、エリザベス女王は妻クラリッセに心からの弔意を贈った。
「彼は歴史の中で、とりわけ傑出した外交指導者として、勇気と高潔さを有した人物として記憶されることでしょう」
晩年のイーデンは温暖な米フロリダ州で過ごしていたが、肝臓癌で死期が迫っていた。それをイーデンと同じ保守党の下院議員マーガレット・サッチャーから聞いた労働党のキャラハン首相は、英国空軍機をマイアミに飛ばしイーデンが自国で死を迎えられるよう手を尽くした。
イーデンは4人に国王の下で外相を務め、2度の世界大戦と冷戦、朝鮮戦争、インドシナ戦争、スエズ戦争、に深く関与、外交交渉に臨んだ。ヒトラーやスターリンなどの独裁者と会談、チャーチルとルーズベルトを仲介し、アイゼンハワー、フルシュチョフと首脳会談を行った。
「世界政治の舞台でイギリス外交の最後の輝きを示した」。後世の歴史家はそう評価した。
イーデンは『回顧録』(みすず書房)でこう書いた。
「私の世界は戦争にはじまった。それは戦争とその準備や余波のために費やされてきた。このため、第二次大戦の国際秩序をつくり出すためにはこれこれのことができる、という私の自信は、経験によって強く支えられたものとなった。」

尖閣諸島での中国漁船衝突事件をめぐって露わになった日本外交の弱点、「外交不在」を目の当りにし、日本外交はどうあるべきかをイーデンを手掛かりに考えてみたい。
幸い、私たちの前には細谷雄一著『外交による平和」(有斐閣)という、これ以上望むべくもない一書がある。この書をもとに「イーデン外交」の神髄をたどろうと思う。
イーデンは、十分な軍事力を背後に持ち、「力にもとづいた交渉」を通じて「外交による平和」を確立することを求めた。
平和のためにあらゆるものを犠牲にするような卑屈な妥協的態度も、外交による平和の可能性を無視して戦争を求めるような態度も受け入れがたいものだった。その中庸にイーデンの求める平和があった。


困難な問題を外交的に解決するためには、毅然たる態度で交渉に臨みながら、同時に偏見や憎悪を排して柔軟に合意を求める姿勢が必要となる。力と外交の巧みな組み合わせこそが求められるのである。
イーデンは保守党の指導者として、党利党略のため労働党政権を非難するような稚拙な行動はしなかった。1945年7月、チャーチル保守党政権からアトリー労働党政権に代わった。イーデンは外相としての自らの後任に、アーネスト・ベヴィンを強く推薦した。野党議員が後継を推すのも珍しいが、確固たる姿勢でベヴィン外相を擁護し、その政策を支持した。
ベヴィンについては、以前取り上げたことがある。『範は歴史にあり』(藤原書店)に収録されている。ベヴィンほどの能力がなければ、戦後の困難な状況を切り抜けることは不可能だとイーデンは思ったのだ。
しかし、イーデンにも大きな限界があった。1956年のスエズ戦争の処理に失敗し、失意のうちに病気で首相の座を降りざるを得なかった。そこには人間としての弱さもあった。
首相になった政治家としては珍しく権謀術数において著しく劣っていた。煙草も吸わず、友人と酒を飲むこともせず、華やかな舞台も好きではなかった。内向的な性格で、熱心に新聞の政治記事を読み、自らに対する痛烈な批判を神経質に受け止め、神経をすり減らしていった。

政治指導者に求められる資質は外交指導者と同じではない。政治指導者には、国民を動かし議員たちを説得し、世界の世論を魅了する能力が不可欠だ。
「チャーチルは個別の政策で無数の誤謬を犯してきた一方で、政治指導者としての能力においては群を抜いていた」。細谷氏はそう対比する。
翻って、尖閣に対する菅政権の対応を考えてみよう。力を背景に海洋進出するという中国の確信犯的な出方に対し、何を軸に、どんな戦略で臨もうとしているのか。司令塔は誰なのか。ほとんど見えない。
中国人船長の釈放にあたって政治介入があったかどうかが議論になっているが、国益に直結する大問題を一地方検察庁に任せるのではなく、政治の責任において決すべきだったのだ。
首相が繰り返し言う。「領土問題は存在しない」にも問題がある。尖閣が日本の領土であることは異論を差し挟む余地がないのに、領土問題の存在を認めれば、中国側の土俵に乗ってしまうということなのだろう。
しかし、「領土問題は存在しない」は、北方領土についてロシアが、ソ連時代から言い続けてきたセリフだ。何よりも「存在しない」ということで、体を張ってでも守ろうという気概と、あらゆる機会をとらえて国際的にも訴えていくという積極果敢な行動が希薄になる。
「日米同盟」という確固たる後ろ盾とともに、経済力も動員した、しなやかな「外交」が今こそ求められるのである。


本はこれ、細谷雄一著「外交による平和―アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治」
外交による平和
宮崎哲弥や橋本五郎が引用した言葉を簡単に言ってしまえば、国防力を高め、それを外交に生かして国際的に優位に立つ、それが戦争をしないことにつながる、といったところだろう。
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞スピーチにこんな一節がある。
「平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。」
平和を維持する上で、現実的に「何が必要なのか」を考えるべき時に来ている。(憲法9条的発想で日本の平和は守れるのか。9条論者は日本でこれを訴えるよりも中国へ行ってその思いの丈を叫べばいい。きっと嘲笑されるか、いいカモ来たと思われるだけだろう)

日本で国防と言うと、やれ「軍国主義だ」「交戦的右翼だ」と声高に騒ぎだす人々がいる。
「平和主義」は、なにも左翼や平和ボケ9条バカだけのものではない。保守の中にこそ「平和主義」があると思う。(他国から侵略・侵入されないように自国を守ること、これによって「平和」が保たれている。これは何も武力による侵略だけではないのだ。精神的・文化的侵略からも守ること、これも重要で、これによって「自国の独立」が保たれるのだ。保守の本質はそこにあると思う。ただし余所から入ってくるものをすべて排他的に拒絶することとは、全く意味が違うことも付け加えておく。)
昔から、日本の偉人たちは「自国の防衛」を常に考えてきた。聖徳太子だって、北条時宗だって、吉田松陰だってそうだ。私の尊崇する新井白石も福沢諭吉も三島由紀夫もそうだろう。(ここで自国の文化力を上げることが防衛力を上げることになる、という話になるのだが、これは別の記事で。)
どうすれば、日本を守れるかをだ。
実際、いまの日本の周りに友好国なんてものはない。(そう思った方がいい)
中国とロシアは領土問題で手を組んで日本の領土に侵入し、頼みのアメリカは日本の民主党政権の反米政策でそっぽを向き、韓国は相変わらず反日感情を弱めることなく、問題が起こればその度に「日の丸」を焼く、オーストラリアは捕鯨・イルカ漁で日本バッシングし、東南アジア諸国は中国漁船衝突事件で日本の対応に呆れ返り、北朝鮮は日本にいつテポドンを撃ち込んでくるかわからない……。世界地図で環太平洋を眺めてみれば、まさに日本は四面楚歌の状況にある。反日勢力に囲まれて孤立無援の中にいるようなものだ。(友好・親善といったって、結局は経済・カネだけの結びつきしかない。それでもまだ日本に「東アジア共同体」って唱えている人がいるのだから驚いてしまうが。)
さらに、経済力も影響力も弱まり、政治も外交も存在しないような状態で、領土もカネも奪われていく日本
四方を敵に囲まれ、自身のみで生き残ることのできない国は、どこかと手を結ばなければ自国は守れない。

橋本五郎はここで「日米同盟」という確固たる後ろ盾を利用しろと説いている。
憲法上、自国で武力を持てないことになっている以上、そうするほかにないだろう。(ここを嘆かわしく思う人も多いだろう)
当ブログではかつて、こんな日米同盟を「織田信長政権内の徳川家康の同盟状態」に似ていることを書いた。
sengoku38氏は“せんごく”の意味を「仙谷官房長官でもあるし、戦国時代の戦国 かもしれない。日本を取り囲む状況は戦国時代さながら、そういう意味にもとれる。」といったそうだ。
まさしくその通りで、今の日本は「列強に囲まれた小国」そんな戦国時代の状況に似ている。
強大な力を持つ織田信長と同盟を結んでいた徳川家康が、この同盟をないがしろにしてその後ろ盾がなくなれば、たちまち自国の領土を周辺諸国が奪いに来る。尖閣諸島の中国や北方領土のロシアはまさしく領土拡張を狙う戦国武将そのものだ。そして、徳川氏(日本)は、織田氏(アメリカ)と手を切って、武田氏(中国)と組むのか、また武田氏をけん制して北条氏(インド)と手を結ぶのか、あるいは遠方の上杉氏(欧州)を頼るのか、そんな選択を迫られていのかもしれない。そんなことを分かりやすく例えながら、今の日本は「戦国時代」と同じ状況になりつつあるという危機感を持っていかなければならない。(しかし……戦後の日本人は「平和ボケ」しすぎ)

武力が、中国への抑止力になるなら、また外交交渉に有利となるなら、それもまた必要となるだろう。(福沢諭吉が生きていたら国益を考え「核保有もやむなし」と言っただろう)
しかし、それも「セコムのシール」(防犯用に玄関に貼ってあるやつ)くらいの役割しかならないかもしれないが、自国に有利に働くなら必要となる。

だが本当に自国を守るためには「武力・軍事力」だけでは不十分なのだ。
国を守るには3つの力が必要で、それが「軍事力と経済力と文化力」だ。
これからの時代は、武力を持って他国を攻め込むというのはなかなか出来ないことだと思う。
違う形の戦争、武力を背景にした文化力(ソフトパワー)の侵略が始まるのではないか、そう予測される。

だから私は必要以上に「日本文化」を広めることを説いているのである。(「アニメは日本文化を救えるか」シリーズの趣旨はここにある。)
かつてアメリカが豊富な経済力と強大な軍事力を背景にして、米国文化を広め、自国の繁栄を築いたように、いまこれを中国が真似ようとしている。
だから、120%の同化力を持つ中国に呑みこまれないために、日本がすべきことは自国の「文化・歴史・伝統」を守り、これを世界に広めることにある。
そのために必要ならば、軍備を強め、経済力を高め必要がある。(「文化」を第一とする。)
この3点は欠けてはならないものなのである。

どうも結局、私の行きつくところは、三島由紀夫の「文化防衛論」や「栄誉の絆でつなげ菊と刀」になってしまう。

追記 宮崎哲弥に橋本五郎、この流れは昔書いた「メッテルニヒとオバマ大統領」と同じだった。
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