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物語を物語る

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「明治大学 国際日本学部」と「チベットのデモ」

物語を物語る

平成22年10月17日 読売新聞の「大学進学特集2011 個性が光る大学」の中で紹介されたもの。

明治大学 国際日本学部 “日本文化 英語で語る”
真の「国際人」を育成する――。明治大学(東京都千代田区)が2008年に開設した国際日本学部は、そんな目標を掲げている。
力を入れるのは、幅広い日本文化に関する知識の習得と、「ツール」としての英語力の強化だ。自分が生まれた国を熟知し、それがグローバルな舞台で活躍する条件になるという考えだ。
「アニメ『機動戦士ガンダム』の特徴を述べよ」。9月下旬に行われた3年生の選択科目「アニメーション文化論」。宮本大人准教授(40)は学生約40人にそんな質問を投げかけた。
この授業の目標は、海外でクールジャパンと称賛される日本アニメについて、その歴史や多様な表現を学ぶこと。伝統文化だけでなく、こうしたポップカルチャーも学問としてとらえる。宮本准教授は、ガンダムについて、キャラクターの複雑な心理描写や、単純な「善悪二元論」ではなく現実を投影した世界観などの特徴を列挙した。
必死になってペンを走らせていた学生の一人が石塚稚菜さん(21)だ。高校時代に留学した先で、米国人の同級生から日本のアニメについて質問されたが、知識不足で何も答えられずに悔しい思いをした。そんな経験から、ポップカルチャーの奥深さを感じとろうという日々を送る。
石塚さんの夢はゲーム業界などでクリエイティブな仕事に就くこと。「アニメやゲームはれっきとした日本の文化。世界の人たちにその魅力を伝えたい」と話す。
宮本准教授は「先代の積み重ねでできたのが現代で、アニメはそれを知るための身近なツールである。過去をさかのぼる面白さを感じてほしい」と話す。
英語教育も、国際日本学部では徹底している。
1年目は、平均的な大学と比べて4倍の時間を英語の習得にかける。大きな特徴の一つが授業の空き時間などを利用する「オフィスアワー」だ。11人のネイティブスピーカーの講師たちに学生が授業での疑問点について質問したり、学習方法の助言を求めたりする。講師1人あたり学生3~15人という少人数制で、学生たちは生きた英会話の力を磨くことができる。
〈中略〉
世界中を歩いたジャーナリストで、同学部長の蟹瀬誠一さん(60)は「国際社会で尊敬されるのは、母国の文化を心から誇りをもって語ることができる人。そんな人材を育てたい」と話している。

「アニメ」を「日本文化」として捉え、教えることはとてもいいことだと思います。
大学でこういうことを学べる学生というのは、かなり「しあわせな人たち」だと、私は思う。
この学部の掲げる方針「母国の文化を心から誇りをもって語ることができる人材の育成」に邁進してもらいたいものです。

さて、ここに出てくる、英語教育だが、英語を「ツール」「道具」として使うことについては、何の異論もない。
「ビジネスとしての英語」「コミュニュケーションの手段としての英語」「学問・知識を得るの英語」「洋楽・映画を楽しむための英語」……これらに何の文句はない。
「自国の文化は自国の言語にある」、ここをきちんと踏まえ、日本の文化・言葉を基盤に置くことが重要である、ここを理解していればいい、と思う。(過去記事「英語が世界共通語になったとき、逆に世界の人々の民族意識は強まる……そんな気がする。)

ただ問題なのは、「世界では英語を話す人口が多いので、英語が一番だといった英語第一主義」とか「金儲けのために母国語を捨て英語を優先させるといった経済至上主義」とかいった考え方で、母国語を蔑ろにする考え方にはには猛反発したくなるのだ。
この考えでいけば、もし中国が経済のトップになれば「中国語」を第一としなければならなくなるし、東アジア共同体的思考が高まれば、人口13億人の中国語が日本語を押しのけて「標準語」になることは分かり切っている。
そのときこそ「日本文化」は漢民族の文化に呑みこまれてしまうだろう。(「もうすでに中国の属国化は始まっている」って現官房長官が言うくらいだから)
こういった「世界共通語」的発想は、いつしか自国の文化を衰退させる要因になるのだ。
言語を失えば文化も失う。そして国も民族も滅びることになる。

ここでチベットに関する新聞記事を3つ転載してみた。

ダライ・ラマ「中国は寛容さ失っている」 広島で会見
来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は15日、広島で記者会見を開き、中国の青海省や北京などで中国語による教育の強制に反発して、チベット人学生らが抗議デモを行った背景に「チベットで文化虐殺が起きている。中国は国粋主義に凝り固まっており、寛容さを失っている」と批判した。

 ダライ・ラマは、チベット自治区のラサで住民の多数派になった漢民族が各種の店舗オーナーになったことから、中国語ができないチベット族の働き口がない現状を紹介。中国当局がチベット大学などで教科書をチベット語から中国語に書き換えたことなどにも触れ、「中国は、チベット語を追いやっている」と非難した。大学生らのデモ行進に関しては「彼らが自分たちが置かれた文化的な現状がひどいと思うことは当然だ」と同情を寄せた。
2010年11月15日 朝日新聞


中国でチベット族のデモも拡大 中国語教育の強制に反発
 【北京=川越一】反日デモが続く中国で、少数民族による政府への抗議デモも広がりをみせている。中国語による授業を義務づける教育改革に対しチベット族が反発し、青海省チベット族居住区で火がついた学生による抗議行動が首都北京にも飛び火した。民族同化をもくろむ当局のいき過ぎた教育改革が、漢族への不信感を増幅させている。

 チベット独立を支援する国際団体「自由チベット」(本部・ロンドン)によると、青海省黄南チベット族自治州同仁県で19日、民族学校の高校生ら5000人以上がデモ行進し、「民族、言語の平等」を訴えた。20日には同省海南チベット族自治州共和県で学生が街頭に繰り出し、「チベット語を使う自由」を要求。22日には、北京の中央民族大学でも学生がデモを敢行した。
 英BBCによると、24日には黄南チベット族自治州尖扎県で民族学校の生徒に教師も加勢し、総勢1000人以上が教育改革の撤回を求めてデモを強行、治安部隊が出動する事態に発展した。
 発端は9月下旬、青海省が省内の民族学校に、チベット語と英語以外の全教科で中国語(標準語)による授業を行うよう通達したことだった。教科書も中国語で表記する徹底ぶりで、小学校も対象という。
当局の中国語教育の強化の背景には、中国語が話せないため職に就けないチベット族が少なくないという現状がある。就職難はチベット族と漢族の格差をさらに広げ、それがチベット族の当局に対する不満につながっているのも事実だ。
 しかし、2008年3月、チベット自治区ラサで発生したチベット仏教の僧侶らによる大規模騒乱が示すように、中央政府のチベット政策に対するチベット族の不満、漢族に向けられる嫌悪感は根強い。
 今回の教育改革も、チベット族学生の目には「漢族文化の押しつけ」「民族同化の強要」と映っているようだ。「自由チベット」は中国当局がチベット語の“抹殺”を図っていると主張している。
 同省共産党委員会の強衛書記は21日、黄南チベット族自治州で学生代表と座談会を開き、「学生たちの願いは十分尊重する」と約束した。中国当局が反日デモ同様、教育改革に対するチベット族の抗議デモが、体制批判に転じることについて懸念している状況をうかがわせる。2010.10.24 産経新聞

チベット族小学生もデモ=中国語使用の強制問題
 【香港時事】中国西部の甘粛省で26、27の両日、チベット族の授業で中国語使用を強制する青海省の政策に対し、小学生が抗議デモを行った。ノルウェーの人権団体などが運営するラジオ「チベットの声」が28日、伝えた。
 デモが起きたのは青海省に接する甘粛省甘南チベット族自治州の夏河県。26日に約100人の小学生、27日には小学生と教師合わせて200人以上が「母語(チベット語)使用を擁護しよう」と叫びながら、役場の前などを行進した。
 27日のデモには1000人以上の住民が声援を送った。甘粛省では中国語を強制する政策は行われていないが、同じチベット族として青海省の政策に反発の声が強まっているとみられる。(2010/10/28-16:17)

チベットの問題は世界で注目され、日本においてもその動向は報道されている。

では、チベットというアジアの小国が、なぜ世界中に知られ、いまある現状に対して世界から同情が向くのだろうか。
答えは簡単である。
チベットが仏教を中心とした高い文化を持った国だということが、世界中に広まっているからだ。
それは「ダライ・ラマ」の存在もあるだろう。
そして、チベットが高い文化を持った民族だ、と伝えるものがあったからである。
例えば、
セブン・イヤーズ・イン・チベットブラッド=ピット主演映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
リトル・ブッタ
キアヌ=リーブス主演、 ベルナルド=ベルトリッチ監督「リトル・ブッタ」
などなど、チベットを舞台にした映画はたくさん作られ、それを世界中の人々が見たことになる。
(他の映画はhttp://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/video.htmlにまとまってました)
そして、その国が中国という大国によって抑圧され民族も滅んでしまう危機にあると知ったのだ。

大切なのは「文化」であり、それを世界に広めることにある。
国・民族を守る最終的な砦は、武力でも経済力でもなく「文化力」なのだ。

こういうことが日本でも起こらないとも限らない。
そのために必要なことは「日本文化」を世界に広めること。
過去記事「アニメは日本文化を救えるか」シリーズはそういうことが言いたかったのです。

だから「明治大学 国際日本学部」のように日本文化を理解し、それを外国に向かって発信できる人材を育成するという教育方針はとてもいいことなのだ。 

守るべきは文化、やはりここに行きつく。
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