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物語を物語る

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二十歳の三島由紀夫 その2

物語を物語る

11月25日なので三島由紀夫の言葉を引いてみます。
師・清水文雄への手紙」(新潮社)から
恩師・清水文雄へ宛てた書簡

……それはさうと、昨今の政治状勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら気が狂ふだろうと、思はれます。偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、癌症状は着々進行し、失つたら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思われてゐました。良人(おっと)といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のように。下品な比喩ですが、彼女はまだ若かつたから、日本の男が誰か一人立上がれば、彼女をもう一度女にしてやることができたのでした。しかし、口さきばかり巧い、彼女の財産を狙ふ男ばかり周囲にあらはれ、つひに誰一人、彼女を再び女にしてやる男が現はれることなく、彼女は年を取つてゆきます。彼女は老いてゆく、衰へてゆく、皺だらけになつてゆく、私にはとてもそれが見てゐられません。
このごろ外人に会うたびに、すぐ「日本はどうなつて行くのだ? 日本はなくなつてしまふではないか」と心配さうに訊かれます。日本人から同じことを訊かれたことはたえてありません。「これでいいぢやないか、結構ぢやないか、角を立てずに、まあまあ」さういふのが利口な大人のやることで、日本中が利口な大人になつてしまひました。
スウェーデンはロシアに敗れて百五十年、つひに国民精神の回復することなく、いやらしい、富んだ、文化的創造力の皆無な、偽善の国になりました。この間もベトナム残虐行為諮問会(ストックホルム)で、繃帯(包帯)をした汚いベトナム農民が証言台に立ち、犬をつれた、いい洋服の中年のスウェーデン人たちがこれを傾聴してゐる人がゐましたが、日本が歩みつつある道は、正に、「犬を連れた、いい洋服の中年男で、外国の反戦運動に手を貸す『良心的』な男」の道です。
どの社会分野にも、責任観念の旺盛な日本人はなくなり、デレッとし、ダラッとしてゐます。烈しい精神は時代おくれになり、このごろのサラリーマンは、ライスカレーさへ辛くて喰べられず、「お子様用ライスカレー」と注文するさうです。……」

日付が昭和45年11月17日になっていますので、この1週間ほど後に「あの事件」が起こるわけです。

三島由紀夫の書簡や対談や評論を読むと、激しい舌鋒と鋭い論説に吐胸を突かれたような衝撃を受けることがある。
そして、没後40年経つが、三島が主張していたことは、今や予言のようにことごとく当てはまっており、それに対して、日本の抱える問題(憲法改正、沖縄基地、中国・アメリカの関係などなど)は何一つ改善されていないということに、驚かされる。
三島がいま生きていたら、この日本の状況を何と嘆いただろうか。

三島由紀夫の父・平岡梓著「倅・三島由紀夫」(文春文庫)にこんな記事がありました。

(三島死後)……北京詣での日本政界界のお歴々が口を揃えて周恩来閣下に、「ミシマは消えてしまいました。したがって軍国主義の御懸念はなく、御安心ください」と揉み手でエヘラエヘラと御追従を並べ立てたからでしょう。ことにニヤニヤ笑いの美濃部知事が出かけていって二、三日して、急に周恩来が「ミシマはもう消えたそうだ」と発言したことを伝えて日本の新聞記事は印象的でした。かくて日本はついにかくなりき、の日本の歴史が作られなければ幸いです。

左翼や進歩派のみならず中国や朝鮮にも、三島という人物の存在自体が脅威だったというのが分かります。それにしても現政権の腰ぬけ外交を見ていると、いま日本に必要なのはこんな「口うるさい右派・保守」じゃないだろうか。(まあ「頭でっかちな左翼」もバランス的に必要ですが……)

では、三島は「日本」の未来を嘆いているばかりいるかというと、そうでもない。
実は、三島は日本の若者に希望を託している。
上記、平岡梓著「倅・三島由紀夫」から

公威はあるときわたしに、いつになく真顔で、
「今どきの若い人を、決して馬鹿にしてはいけませんよ。身なりや言葉遣いで判断するのはもっての外です。あとで臍を噛むことになりますよ。彼らは、おかあさんの想像しているような人間ではありません。僕の言っていることを、胸に刻み込んでおいてください。彼ら以外に、日本を守り、日本を立ち直せる実力のあるものは、どこにもいないのです。いったん国難が来たら、彼らはたちまち毅然として国を守り、毅然として敵に立ち向かい、ものの見事にこの日本を立ち直らせてくれますよ。おかあさん北ベトナムをご覧なさい。あの艱難を歯を食いしばって、あくまで耐え、国を支えているのは、他ならぬ彼ら若者なんですよ」
<中略>
ある晩、事件の年の春ころでしたか、倅は、茶の間で、「日本は変なことになりますよ。ある日突然米国は日本の頭ごなしに中国に接触しますよ、日本はその谷間の底から上を見上げて、わずかに話あいを盗み聞きできるにとどまるでしょう。わが友台湾はもはやたのむに足らずと、どこかに行ってしまうでしょう。日本は東洋の孤児となって、やがて人買い商人の商品に転落するのではないでしょうか。いまや日本の将来を託すに足るのは、実に十代の若者の他はないのです」と申しました。

三島は信じている。若者を。
何よりも、若いときに固めた信念が、己を突き動かすことを誰よりも三島はよく知っているから。
三島は20歳のとき、終戦を向かえた。
そのとき恩師・清水文雄に手紙を出している。(昭和20年8月16日)

……玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。ただ黙して行ずるのみ。今後の重且つ大なる
時代のため、御奮闘切に祈り上げます。
 たわやめぶりを みがきにみがかむ 

「たわやめぶり」とは「ますらお・益荒男」のことで、りっぱな男、勇気のある強い男、武人。兵士という意味だ。
三島由紀夫が「日本文化」を守ることが日本の国や民族を守ることにつながるという考え(「文化防衛論」など)は、二十歳のときにすでに出来あがっていたのだ。それは他の書簡などを読むとよく分かる。
二十歳に作られた自身の強い信念が、晩年のあの言動につながっていく。
これは「日本」を思えばこそのことだ。

三島の予言はいま現実となっている。
ならば日本の若者が奮起するという予言も当たることになる。

ただ、喚起を促すといっても武器を持って立ち上がれと言っているのはない。
三島が第一に挙げたのは「自国の文化と歴史と伝統を守ることであり、その根本は皇室にある」ということだ。

若者よ! 三島の言葉を聴け!
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Comment

[268]
三島の文を読んでいると「予言者か!」と驚くことばかりです。

そして「預言」でもあるような気がします。


まだまだ三文文士にすらなれない小生ですが、三島の文をよく勉強したいと思います。

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消えた二十二巻

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