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物語を物語る

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マイケル・サンデルか池田信夫か、どちらが正しいのか? 大震災のときだけコミュニティーの大切さを問うのでは意味がない。

物語を物語る

私の住む町内では、数年ごとに町内会や育成会の役員が持ち回りでやってくる。
当然、我が家にもその順番は回ってくるのだが、これが結構、面倒くさい。
「やれ、夏祭りだ」「廃品回収だ」「夏休みのラジオ体操だ」「登下校の見回りだ」などなど、とにかくやることは沢山ある。
その度に、出向かなければならないのだ。(まあ、私は仕事にかこつけて、奥さんに任せているときもあるが……。)
だが、そこで、近隣の方々とコミュニケーションを取ることになる。
「あそこの婆さん、腰が悪くって入院しているんだと」「あの息子さんいま東京の○○会社へ行ってるだって」「上の子は来年小学校、あっ腹の子は春には生まれます」……。そんなよく見かけるご近所のコミュニケーションだ。
しかし、こういうのが大切なんだな、と思うようになった。こういった小さな交流の積み重ねが、地域のコミュニティーを形成していくのだな、と感じたのだ。そうなれば、煩わしい「町内会」も「育成会」も地域コミュニティーにとって必要なのだと気付いた。(そこで「神社」の役割・重要性が出てくるのだが、これはまた別の機会で)
世間では「無縁社会」「消えた高齢者」「幼児虐待」……。地域のコミュニティーがもう少し活発であれば防げたのではないか、ということをよく聞くようになった。
地域コミュニティーの大切さは、こういったことに身を持って参加して初めて気付くことなのだろう。いくらテレビや新聞の報道を見聞きしても、それはなかなか分からないことかもしれない。


さて、遅ればせながら最近、マイケル・サンデル教授の本を読んだり、撮りためていたNHKの「ハーバード白熱教室」を見たりしている。
マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室」

これについてまとめて見ようかと思ったら、読売新聞にいい記事があったので、書き起こしてみた。
平成23年1月11日 「日本の改新 第一部 識者に聞く マイケル・サンデル」

「無縁社会」の話をしよう
日本の孤独死や不明高齢者の問題は、痛ましい悲劇だ。コミュニティーの喪失がもたらしたいえよう。「無縁社会」の原因は何か、自問する必要がある。原因のひとつは、現代の市場主義がもたらした豊かさだろう。それに極端な個人主義が加わり、社会の結束に課題を投げかけている。現代社会の道徳的な側面について、国民的なディベート(議論)を起こすことが第一だ。個人個人の責任について、道徳的にしっかりしたディベートなくして、コミュニティー侵食の裏に潜む問題に対処できない。
日本ではこの数十年で貧富の格差が拡大した。医療や教育、老後の介護を受けるのが困難となっている。市民としての義務は何か。我々は若者や高齢者にどんな義務を負っているのか。こうしたディベートは避けて通れない。
一つの正しい解答が得られるか、保証はないが、やってみなければわからない。開かれたディベートにより、他者の視点をもっと知ることが出来る。ディベートとは、お互いを尊敬し、相手に耳を傾け、共通点を見出そうとすることだ。
核家族化や若者の大都市思考は手ごわい問題だ。お年寄りの面倒を見られる大家族がなくなり、若者も大都会に出る。コミュニティーが高齢者に対して責任を共有できる、新たな仕組みを作る必要がある。解決策は地域ごとに異なるだろうが、コミュニティーが「共通善」とみなしたものでなくてはならない。
都市型の生活で、核家族化を無理に阻止するのは不可能だし、望ましくない。代替案が必要だ。市民社会が手がけるのが理想だ。宗教的な共同体が担う場合もあれば、町内会が担うこともあろう。国家が支援できるが、国家に完全に頼ることは難しい。かつて大家族が担った役割を果たすには、市民社会から発生したものが好ましい。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは正義と「善き生」のつながりを重視した。善き生とは、市民が美徳を育んでいける生き方だ。美徳は、市民が個人としてだけでなく、共に生きることによってはじめて育まれる。
これは個人の自律を第一と考える立場と緊張関係にある。ドイツの哲学者カントが唱えた自律的な行動を重視する考えは、非常に強力な視点だが、伝統的なコミュニティーとは相いれない。現代社会において、カント的な思想とどう折り合いをつけるか考えることも重要だ。
日本でのディベートでも、伝統的、歴史的な価値観についての考察が出発点になるだろう。だが、それだけでなく、伝統に根ざす価値観をどう現代に生かすかについても考えなければならない。
コミュニタリアン(共同体主義者)にもいくつかの立場があることを説明したい。その保守派は、コミュニティーが尊重する価値を絶対視するが、私はこれではいけないと思う。別のコミュニタリアンは、伝統や歴史の価値を重視しつつ、疑うことを容認する。コミュニティーが持つ価値は非常に重視だが、本当にそれでいいのかと絶えず問い続けることが大事だ。
ディベートでは、人によって異なった結論を導き出し、意見の不一致が浮き上がることもある。重要なのはディベートを通して、大きな哲学的な考えや、価値観を明るみに出すことだ。
地球規模の課題が増えている今日、ディベートを通して他者の考えを知ることの重要性は一層増している。例えば地球温暖化問題。各国の間で、危機感は一様ではないし、温暖化対策の負担はどうしたら公平に配分できるかについて意見は割れている。それでも未来の地球、未来の世代のことを考えて、何ができるか議論することが大事だ。
ディベートは、同時に様々な場で並行して行われるべきだろう。ひとつは大学だ。私が東京大学を訪れた時、安田講堂び1100人が集まり、3時間にわたってハーバード大と同じようなディベートを行った。
私の日本の友人は、「日本の学生は恥ずかしがり屋で議論したがらない」と言ったが、ある学生は「我々は新しい世代だから、議論をしたい」と言ってくれた。日本の若い世代には、哲学的な問題について、ディベートをしたいという渇望と意思が間違いなく存在する。ささやかなディベートする機会をもっと作ってほしい。大衆の興味や関心をあおるタブロイド紙的な報道では、ディベートの場を生活の中で作ればいい。
メディアにも、論理を真剣にディベートする機会をもっと作ってほしい。大衆の興味や関心をあおるタブロイド紙的な報道では、ディベートの中心となるべき倫理問題から大衆の目がそられ、公共の重要な問題が置き去りにされてしまう。インターネットのブログでも、どうでもいいゴシップが幅を利かせる傾向が強まっている。
社会正義や平等、富の公正な配分、貧富の格差、家庭やコミュニティーの浸食、政府のあるべき姿といった重要な話題に正面から取り組むのがメディアの役目だ。

聞き手 ニューヨーク支局長 吉形祐司
道徳、正義、お年寄りへの思いやり。サンデル氏は、私が子供の頃、地域や学校でよく耳にした言葉を何度も耳にした。今の日本を顧みて赤面した。サンデル氏が「無縁社会」の解決策を示してくれたわけではない。ディベートを提唱することで、日本社会と日本人に対して「解を求めよ」と迫ったのだ。

コミュニティーの再生を重視するマイケル・サンデル教授の考え方について、小林正弥・千葉大学法経学部教授に解説してもらった。

コミュニタリアニズムの立場には、二つの重要な軸がある。一つ目として、サンデル教授は、正義などの公共的問題を考えるときに、善などの倫理的・精神的なものが大事だという。善き生、善き生き方の問題を論じながら公共の重要な問題は議論できないと述べる。二つ目は、サンデル教授も強調する共通性、共同性を重視する。一方で善、一方で共通性。両方合わせると、「共通善」というアリストテレスに始まり、サンデル教授が常に強調している考え方が出てくる。
共通善こそ、コミュニタリアニズムの考えの中心になっている。サンデル教授は、米国でも、市場経済発展に連れ、コミュニティー(地域社会)、共同体が弱体化したという。個人の権利を重視するリベラリズム(自由主義)が制覇した反面、官僚制と市場主義がどんどん大きくなり、自己統治ないし自治の場であったコミュニティーが衰弱してしまう。これが、今日の民主主義政治の問題だという。教育のあり方、福祉のあり方など、市場原理だけで考えるべきではないことまで、すべて市場原理で決まってしまうことを教授は批判している。
日本のようにもともと共同体が強かった社会でも、市場経済の発展の結果、米国と同じことが起きている。高齢者行方不明、幼児虐待、無縁社会といった問題は、日本社会で、家族、コミュニティーの崩壊、弱体化が深刻になっていることを映し出している。
家族、コミュニティーの弱体化を前にして、道徳的な保守派であれば、昔の共同体を復古させ、昔の家族のあり方を取り戻す必要があると論じ、政府はそのための法律を作るべきだと主張するだろう。しかしサンデル教授は、単純に昔に戻れという議論はしない。時代は展開するので、その中で、新しいコミュニティーの形を見いだしていくことが大事だと考えて、そのための議論を呼びかける。そして、米国なら米国の、日本なら日本の文脈で議論していくことも重視する。
日本では戦前、神道、儒教の考え方が道徳の基礎にあった。これが戦後、否定され、伝統的な宗教の弱体化が道徳性や精神性の喪失につながっている。これを埋めていくことが社会全体として求められる。サンデル教授は、アリストテレス以来の美徳の促進を正義とする考え方を提起しながら、今、どういう共同体が可能か議論している。日本では、日本の伝統、東洋の伝統も踏まえて議論することが大事だろう。

ふむふむ、なるほど、なるほど。
私のささやかなコミュニティー参加から得た考えを、文章にするとこういう風になるのだろう。
私のように教養も文章力も足りない人間は、自分の意見を代弁してくれる言葉を、先人や賢人の中から見つけ出すことが重要となってくる。問題はそれが見つかるかどうかだ。だから自分の意見に合うものが見つかったときは、それを全面的に支持することになる。(私の場合、福沢諭吉とか三島由紀夫とか新井白石とか)
そういったことで、私はマイケル・サンデルの「コミュニタリアニズム(共同体主義)」に賛同する。

さてさて、その一方で、「無縁社会」に関する記事で、身震いするほど恐ろしいものを読んだ。
池田信夫の記事だった。
一部引用。全文は元サイトで。http://news.livedoor.com/article/detail/5253964/

……そして誰もが、最期はひとりで死ぬ。死ぬときは無縁であり、コミュニティなんて幻想にすぎない。人生が幸福だったかどうかは、死ぬとき「あれをやっておきたかった」と思うか、「やりたいことはやった」と思うかではないだろうか。その意味では、もう朽ち果てるしかない日本型の有縁社会を延命することは、人々を不幸にするだけだと思う。

これを読んだときは背筋が震えるほど怖い考えだと思った。そして真っ先に思ったのは、福島瑞穂の「家族解散式」だった。基本は同じ。これを社会主義というのではないか。
論理的に難しいことは私には書けない。しかしこういった考えが、人間社会を真っ向否定しているのではないかということを、本能的に感じるのだ。
これはどんなホラー映画よりも怪談話よりも、恐ろしいことだ。
こんな人だから、「共通善」「共同体主義」「コミュニティー重視」のサンデル氏を取り上げても、ひどく貶している。
アリストテレスの引き写しだとか、新しいものなど無いとか。
だが、人間社会の根本に関わることに古い論理も新しい論理もない、そう思う。
で、池田信夫の他の記事を読んでみた。
「古い組織を淘汰して社会によって個人を守るシステムをつくるしかない」「日本人が苦手な英語を勉強して「国際化」するより、移民を自由化して東京を国際都市にするのが早道である。 」「関西は独立しろ」「子育ては人生の浪費」……。
どれを読んでも受け入れらないものばかりで、私は池田信夫とは全く合わないようだ。(あくまでも私の主観の問題であり、賛同する人は支持すればいい)
私にはこの人を持て囃す理由が分からない。

また、ラジオ文化放送「吉田照美のソコダイジナトコ」では、吉田と評論家・内田誠が「大学生の就職難」について語っていたとき、「若者には家族や社会のしばりがあるから……。昔だったら学生運動とかで爆発させていた。今の学生はそんな力もない」ウンヌンカンヌンいろいろと喋っていた。
何なのだろうか。
社会も家族も個人を縛るものでしかない、と思っているのだろうか。
こういう行き過ぎた個人主義こそが、まさに上記サンデル教授が指摘するところだ。

池田も吉田も内田も福島もみな同じ年代。つまり団塊世代からシラケ世代と言われる世代なのだ。
学生運動に憧れた世代。つまり、かつての日本の善きあったものを旧弊・悪弊と見なし、排除・批難することをカッコいいと思っている年代。地域コミュニティーを破壊して良しとし、やたらと己のみを顕示して、個人主義を崇拝をする世代。そんな戦後民主主義教育をサヨク教授からたっぷりと仕込まれた世代なのだ。
世代論は好きではないが、やはりこういうのを見ると「この年代」が他の世代から非難されるのはよく分かるというものだ。

随分と横道に反れてしまった。
この辺で本題の「地域コミュニティー」のまとめ。
平成23年1月18日付・読売新聞の社説から。

阪神大震災16年 地域の絆で防災力を高めたい
 阪神・淡路大震災から16年の17日、被災地では「鎮魂」の灯(あか)りがともされた。大震災の様々な教訓を生かし、地域の防災力を高めることが、何より急務である。
 地震や風水害への備えは十分だろうか。地域や住民の取り組みを国や自治体が支えるとともに、広域に及ぶ応援体制を強化する視点が欠かせない。
(中略)
 孤独死や行方不明高齢者が相次ぐ「無縁社会」が問題になっている。万一に備えて地域の絆を深めておかねばならない。行政による「公助」と住民の「自助」、そして双方が支え合う「共助」の意識を高めることが、大切だろう。

人は何か大きな問題が起こらないと、何が大切なのかに気付かない。
こういった大きな災害になって、初めて地域コミュニティーの重要性に気付く。
でもそれでは遅い。
普段から、地域コミュニティーに参加すること、人の縁を大切にすること、それが大事なのだと意識すること、単純だが、これに尽きる。

だから、池田信夫のように「そんなの面倒臭い、いらねぇ、子育ては人生の浪費」、吉田照美や内田誠のように「家庭や社会は個人を縛るもの」、福島みずほのように「子どもが大きくなったら家族は解散する」などと言っている人たちは、地域コミュニティーや人の縁の必要性がないのだから、災害があっても助ける必要などない。
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