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アニメは日本文化を救えるか 第7回 これからの「クールジャパン」は、消費される文化を目指すのではなく、日本文化を広め、深める道を進むべきではないのか。

物語を物語る

アニメは日本文化を救えるか 
第7回 これからの「クールジャパン」は、消費される文化を目指すのではなく、日本文化を広め・深める道を進むべきではないのか。

まず、疑問を感じた記事が出ていたので、そのまま転載しておく。
日刊サイゾー http://www.cyzo.com/2011/02/post_6557.html

朝日新聞までもが危惧し始めた「世界に広がるオタク文化」の幻想と危機的状況 もう「世界に広がるオタク文化」の幻想を見る時代は終わった。
2月7日付の朝日新聞の別冊紙面「GLOBE」が「MANGA、宴のあとで」と題して、日本のマンガ・アニメが持て囃されているはずのフランスとアメリカで売り上げが伸び悩んでいる現状をレポートしている。
 秋葉原で外国人観光客を見かけることは珍しくなくなった。世界のあちこちでオタクイベントが開催されていることはニュースにもなる。YouTubeなどの動画投稿サイトでは、世界のあちこちで、コスプレしてダンスするオタクたちの姿を見ることができる。
 それなのに売り上げが伸び悩むとは、どういうことか? 「Nesweek日本版」が「萌える世界」と題して世界に広がる萌え文化を紹介したのは2007年3月のこと。それから4年余りの間に何が起こったのか?
答えは簡単である。最初から日本のマンガ・アニメが世界のあちこちで持て囃されているというのは、幻想に過ぎなかったのだ。
 そもそも、「クールジャポン」なんて言葉が流行した07年頃、アメリカでもヨーロッパでも、アニメ関連の市場は縮小が始まっていた。アメリカで、日本のアニメおよび関連商品の売り上げがピークに達したのは03年頃。テレビでのアニメ放映時間も07年9月をピークに減少を続ける一方だ。
 フランスでは日本のマンガが数多く翻訳出版されているが、とにかく売れない。先の旭の記事では、『デトロイト・メタル・シティ』が5,000部程度しか売れなかったことを記している。もちろん、これはヒドイ例だ。ジャンプ作品はある程度人気を博しているが、それでも08年に発売された『NARUTO』の単行本が22万部売れた程度に過ぎない。
 と、読者の皆さんは「ちょっと、データーが古いのではないか?」と思ったかも知れない。その通りである。
 ところが、そもそもアメリカやヨーロッパにマンガやアニメの市場がどの程度の規模で存在しているのかを知るのは、かなり難しい。こうしたデータを収集している組織としてはJETRO(独立行政法人日本貿易振興機構)が有名だろう。ところが、この記事を書くにあたって久しぶりにサイトを覗いてみたのだが、欧米圏に関しては新しい調査報告が、あまりなされていない。こうした状況を見ても、あたかも日本のマンガ・アニメが巨大なブームを引き起こしているような状況は、幻想としか思えない。
 一方で、日本のマンガ・アニメを求める「濃い」ファンもちゃんと存在する。彼らの存在は大きく見えるが、数は限られたものに過ぎないのだ。
 フランスで開催されたオタク系イベントの日本側窓口となったコーディネーターからは、こんな話も。
「日本のオタク事情に極めて詳しいファンは存在します。例えば、『東方』のファンはフランスにもいるんです。ただ、フランスで『東方』を知っている人は200人程度じゃないでしょうか」
 筆者は一昨年に、ある週刊誌で「日本のマンガ、実は世界でウケてない!」という少々煽り気味のタイトルで日本国内での幻想と海外での現実とをレポートした。しかし、この記事の反響の多くは批判的なものだった。
 だが、今となっては、このレポートは正しかったと言わざるを得ない。
 国内需要が縮小していく中で、海外に活路を見出すのはビジネス上、当たり前のことである。だが、海外には、まだ山と溢れる日本産のマンガやアニメを受け入れるだけのすそ野が出来上がっているとは言えない。
 例えば、日本ではオタクだけでなく幅広い客層を集めるスタジオジブリの作品群も、欧米では、さほど興行収益を上げてはいない。国内ではさまざまな海外映画祭での受賞が派手に報じられているが、それが集客には結びついていないのが現状なのだ。
 だからといって、縮小する一方の国内の需要に頼っていては、マンガ・アニメの壊滅は必至だ。これまで、多くの人は、海外には既に作物が豊富に実る豊かな土壌の楽園があるち勘違いしていた。だが実態は、これから畑を耕してまだ日本のマンガ・アニメを消費する人々を育てていく段階だったのだ。
 カギとなるのは、日本のように子供から大人まで、年齢を重ねてもマンガやアニメを消費するライフスタイルをどうやって普及させていくかということ。サブカルチャーの一分野として、日本のマンガ・アニメを消費する人々だけをアテにしていては、先はない。
 別段、批判するわけではないが『朝日新聞』が、多くのページを割いて、海外のマンガ・アニメの不況を記すということは、状況は更に先に(悪く)進んでいるということだ。日本のマンガ・アニメの未来を考えるならば、もう、夢を見ている暇はない。(文=昼間たかし)

どうでしょうか。確かに後半の部分はいいだろう、『年齢を重ねてもマンガやアニメを消費するライフスタイルをどうやって普及させていくか』という課題を示している点はいい。だが「世界に広がるオタク文化」や「クールジャパン」は幻想であり、それは日本のマスコミが勝手に作っているのだ、というのは煽り過ぎではないのか。
それに、かの大新聞で権威のある(?)朝日新聞が言っているのだから俺の言っていることは間違いない、ということを誇示したいのか、そこが鼻についてイヤな文面だ。
そもそも「売れている」「ヒットしている」「消費」という基準で「文化」を語るべきなのだろうか。
「文化」を「売れる」「売れない」という市場論理に当てはめること自体が間違っているのではないだろうか。
海外で日本のマンガが売れていないから、ジブリ映画の興業成績が悪いから(NARUTOが22万部売れているだけでも凄いと思うが、日本のものでそんなに売れる本はないだろう)という理由でもって、クールジャパンは幻想だという論はおかしい。
まずこの記事を書いた「昼間たかし」を検索してみると……、これが、酷いサヨク。
それに朝日新聞は、日本にも「文化大革命」が起きて中国の属国になることを願っている新聞社ですから、そこが「クールジャパンは幻想だ」という論を張るのはもっともなことでしょう。
この自称ジャーナリストが、俺の考えていることが天下の朝日新聞と同じだ、といったことで舞い上がっているのが笑える。

そもそも「クールジャパン」って、「文化」って、何なのだろうか。

例えば、外国人が思い浮かべる日本を代表する文化「相撲」や「歌舞伎」はどうだろうか。海外で売れるものなのか。そうではないだろう。これらは日本をイメージし象徴する文化である。
浮世絵はどうだろうか。これも日本を象徴する文化だが、元々海外で売り込んで認められたものではない。陶器の包装紙だったものが欧州に渡り、これを見たゴッホやマネやモネらなどが衝撃を受け、その彼らが印象派を生み出し、西洋絵画に大きなの影響を与えることになる。これが欧米の「ジャポニスム」となって、日本文化の愛好家・心酔家が多く作ることなった。
現在でも、海外の美術研究家や絵画ファンは、日本の浮世絵を見れば、そこに特別の感情を抱いている。彼らは日本文化のよき理解者となり、日本そのものに友好的意識を持ってくれることになるのだ。
そういう現象こそが重要なのである。
文化は、「売り」「消費させる」といったことを優先させるのではなく、「広がりや深度」を重視せよということだ。
過去記事(「渡辺千賀の「日本はもう立ち直れない」と忌野清志郎と小室哲哉」)
政府・役人が「ジャパンクール」を推し進めようとすれば、数字や経済効果ばかりを追い(業績を数字で計ることしか役人や企業は考えない)、結果、「文化」を広めるという視点は必ずや見過ごされることなる。
だから「文化」をそういう視点で捉えてはいけないし、ましてジャーナリストや新聞社がその視点のみに立って「文化」を論じるのは大きな間違いである。
詳しくは過去記事「アニメは日本文化を救えるか」シリーズで。
第1回 アニメでカネ儲け主義に走れば、アニメ文化は衰退する。
第2回 アニメと日本語
第3回 ソフト・パワーの時代。中国がパンダなら、日本はアニメだ!
第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。
第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。
第6回 アニメと神社

ソフトパワーを生かして国(民族)のイメージを上げ、その国(民族)のファンを増やす。
当サイトで主張しているソフトパワーによる「文化防衛論」が重要なのだ。
アニメ・マンガそれ自体の売上云々といったことに重点を置くのではなく、「マンガ・アニメの海外への広がり」によって日本文化を知ってもらい、熱狂するような日本ファンを作ることこそが必要なのだ。
それは櫻井孝昌氏や杉山知之氏が主張することである。
だから、マンガやアニメが爆発的に売れて(消費されて)いないから「日本文化は広まっていない」「クールジャパンは幻想」という論理は道を違える元になる。
何でも経済効果で物事を計るとものの本質を見失うことになるのだ。

さて、もう一つ気になった記事を。こちらはいい記事。
朝鮮日報2011年02月12日http://news.livedoor.com/article/detail/5338429/【コラム】誰がチェ・ゴウンさんを殺したのか

昨年5月、映画監督のクァク・ジギュンさんが「仕事がなく、苦しくてつらい」と書かれた遺書を残して自ら命を絶ったというニュースが流れ、世間は非常に驚いた。しかし、そのことはたちまち世間から忘れ去られていった。6カ月後の昨年11月、シンガーソングライターのイ・ジンウォンさんが半地下の部屋で倒れ死亡したときも、殯(ひん)所(出棺まで棺を安置する場所)にはインディーズ・ミュージシャンたちが訪れただけだった。そして今回、シナリオ作家のチェ・ゴウンさんが「残ったご飯とキムチをください」と書いたメモを残し死亡していたことが、十日後の今月8日に分かった。わずか9カ月の間に、芸術家3人が、あまりに寂しい姿でこの世を去った。なぜ、こうした悲劇が繰り返されるのか。

 3人はいずれも「無名の芸術家」ではない。映画『冬の旅人』の監督を務めたクァクさんは、一時は人気の映画監督として活躍したが、2000年代に入ると次第にその存在は忘れ去られていった。イ・ジンウォンさんは、弘益大エリアでは有名だったが、テレビには出演できなかった。チェ・ゴウンさんは、韓国国内の映画祭で受賞した実績はあったが、脚本を買ってくれる人がいなかった。
 3人の共通点は、創作活動以外に仕事がなかったという点だ。3人とも映画や音楽に対する愛情があまりにも強く、芸術家としてのプライドが高すぎたため、本業以外の「お金になる仕事」に取り組むことができなかった。
  3人の死を、(映画や音楽関連の)市場のせいにすることはできない。利益が出る方に流れる資本が、彼らにそっぽを向いたのは事実だが、だからといってすべての責任があるわけではない。売れないシナリオを書き、ヒットしない歌を歌い、ヒット作を生み出せない芸術家は、冷たい市場の片隅に追いやられてしまうのが現実だ。
 だが、彼らの貧しい生活や孤独な死に対し、政府にもある程度の責任はある。芸術家がどれだけカネを稼ぐかは、芸術家自身の仕事次第だ。だが、芸術家たちが三度のご飯をきちんと食べ、健康診断を受け、温かい部屋で冬を過ごせるようにするのは国家の仕事だ。それがすなわち、福祉政策と文化芸術政策の要点の一つだ。
 ところが政府の大衆文化政策は、もっぱら「カネになる方向」に集中している。文化体育観光部(省に相当)の前長官は就任直後、大手芸能プロダクションが運営するカラオケ店で記者会見を開き、「韓流」あるいは「新・韓流」を掲げ、大衆文化を輸出産業であるかのように取り上げた。海外で稼ぐアイドルグループを政府の予算で支援する一方、国内で活動しながら日の目を浴びないミュージシャンからの支援申請は突き返したのだ。
 すべての映画監督が大ヒット作を生み出す国や、すべてのミュージシャンがダンスミュージックをヒットさせる国は、発展途上国だ。先進国とは、芸術映画や実験的な音楽を着実に創り出せる国のことだ。
 クァク・ジギュン監督が部屋で練炭を燃やしながら、「つらい」と遺書をしたためたとき、どんな心情だったのだろうか。イ・ジウォンさんが「どんなに音楽が好きでも/ラーメンだけでは生きていけない」という歌詞を書いたとき、どんな気分だったのだろうか。チェ・ゴウンさんが残したメモに記された「恥ずかしいけれど」という言葉が、とりわけ気になる。チェさんを死に追いやったのは、飢えではなく、恥ずかしさだったのだろう。
 その恥ずかしさの責任は、生きているわれわれが背負うべきものだ。韓国とは、32歳の芸術家が、閉ざされた部屋で孤独死に至るまで放っておく国なのだ。国内総生産(GDP)世界15位の経済協力開発機構(OECD)加盟国に加わり、主要20カ国・地域(G20)首脳会合を開催するまでに成長した大韓民国で、三流映画のような悲劇が相次いで起こったという現実が、恥ずかしく思えてならない。
韓賢祐(ハン・ヒョンウ)大衆文化部次長待遇

何かこれ、日本のアニメ業界の労働環境に似ている。それに日本の政府が掲げるような「経済的効果のクールジャパン」もこれと同じようものだろう。
何よりも「すべての映画監督が大ヒット作を生み出す国や、すべてのミュージシャンがダンスミュージックをヒットさせる国は、発展途上国だ。先進国とは、芸術映画や実験的な音楽を着実に創り出せる国のことだ。」これまさにその通りだ。
ヒットさせる、売れるものを作る、といったことばかりを追求すれば、いつしかツマラナイ平均的なものしか作られなくなる。
「文化」は独自性に価値があるので、経済至上主義に合わせれば、その文化はグローバル化という名の下に呑みこまれてしまうだろう。(日本文化のアメリカ化、中国化)
だから、上記にあるよう「昼間たかし的見方」「朝日新聞的論理」売れていない(消費されない)からクールジャパンは幻想→売れるものを作れ」論理展開は間違いなのだ。
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