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多胡碑の日本語

物語を物語る

読売新聞 平成23年2月25日 コラム「随想ぐんま」から 

感銘凝縮 多胡碑の日本語 県立女子大群馬学センター 副センター長 熊倉浩靖
上毛かるたに「昔を語る多胡の古碑」と詠まれる多胡碑を訪れた方も多いことと思う。
その多胡碑が建てられて(厳密に言うと、多胡碑に記される多胡郡という郡が建てられて)1300年を迎える。この3月のことである。あまたの記念行事が企画されているが、この機会に改めて多胡碑を実見していただきたい。幸いにも、3月13日までの土、日曜日、普段は閉じられている覆い屋の扉が開けられ、多胡碑を直に見ることができる。
碑面に「多胡」という字を発見して感動を覚えられるに違いない。文字の素晴らしさに目を見張る方もおろう。説明者のガイドに従って碑文がいま読めることに驚きと喜びを感じられる方が大半と思う。解釈の中にも興味深くて引き込まれる議論が多くあるが、まずは、いま読めることの凄さを感じてほしい。
読めるというのは、文字一つ一つが確認できることではない。文として読めるということだ。日本語で書かれているからである。当たり前のことではない。日本人は固有の文字を持っていなかったからである。
隣には文字の超大国・中国があった。漢字・漢文に基づく文の世界秩序が作られていた。卑弥呼の王邸にも倭王武の王邸にも中国語が飛び交っていたと見られる。
漢文で苦労された通り、その文法は私たちの言葉の並びとは異なる。同じ文字に託す音が違う。その苦心が漢文読み下しという文体を作り、万葉仮名から平仮名を生む。その過程で日本国も日本語も成立する。日本誕生の最も感銘深き場面が多胡碑には凝縮しているのである。
それが、いまも読めるということなのだ。同じ努力は多胡碑と共に上野三碑と称される山ノ上碑(681年)、金井沢碑(726年)にも刻まれている。その凄さを実見できる我ら群馬県民、まして1300年という節目に出会えた我らは幸せ者ではないか。

上毛かるた 多胡碑「上毛かるた」には「昔を語る多胡の古碑」とある。

中国から輸入された漢字を日本流にアレンジし日本語を生みだした時期に「多胡碑」が建てられたというのか……、そんな意味があったとは知らなかった。
「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある」という「文化分岐点論」を信奉する私としては、このコラムに深い興味を引かれました。

過去記事
日本文化論。「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。」 明石散人「日本史鑑定」から
日本の漢字は「クロスカップリング」
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