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物語を物語る

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吉川英治が見た大災害時の日本人

物語を物語る

日本は大災害が起こる度に、その対応に苦慮し初動対応の遅さからたちまち大混乱に陥るようだ。
これは過去の大災害の様子を記したものなどを見るとよく分かる。
昭和34年の伊勢湾台風のときも日本に大きな傷跡を残したが、そのときの様子を作家の吉川英治が書き残していた。
随筆 私本太平記随筆 私本太平記
吉川英治の視点は非常に冷徹である。「遅々として進まない政府の対応」や「政府批判ばかりする国民」や「興味本位のマスコミ」を嘆きつつも最後には「原稿を書くことしかできない自分自身」にまで言及している。
短い随筆だが、さすが時代を代表する大作家だけあって、さらりと世の中の動向を書いてしまうところがすごい。
そして、これを読むと、今回日本で起きた東日本大震災と全く同じような状況であることが分かる。政府、マスコミ、国民、それぞれの対応があまりにも酷似しているのだ。
日本は大災害の度に復興してきたが、それは経済的なことだけではなかったのか。大災害が起こったときに、国全体が何をすべきなのか、そのことに対しては何ら進歩していないのではないか、そう思ってしまうほどだ。

ということで、記録のためにもその部分をそのまま書き起こしてみました。

その十六
私は小説家だが、どうも今日は小説が書けない。恥かしいが私は真の芸術家、芸術至上主義者ではないらしい。
とはいって一回分でもアナにするわけにはゆかず、この筆間茶話で今日の分は埋めることにした。醜態だが、理由はただやりきれないのである。――予報には、明日晴れとあるが、分裂したはずの十六号台風の影響か、ゆうべから雨は今日も一日じゅう窓外を打っている。で、私はついにこんな出来事を書き出してしまった。ごかんべんねがいたい。
太平記を書き、当然、そのころの世態を調べながら、私はいつも、当時のような乱世下の民衆はどんな悲惨な中に生きたかに、想到せずにいられなかった。
ところが、それにまけない悲惨な民衆が、こんどの伊勢湾台風では、目の前におかれている。六百年の昔でもない、今日の日本の真ん中のことなのだ。どうにも考えざるをえない。
挿画の杉本健吉さんは、名古屋市瑞穂区に住んでいる。私の原稿は日々健吉さんの手へ送られていく。仕事の上で一つに暮らしているようなものだ。杉本家の被害はかるくすんだらしいが、周囲はさだめしたいへんだろう。台風禍いらい、すでに半月にもなるが、読者諸氏もすでに知ってに通りの有様である。そこへ昨夜にした健吉さんからの便りにも、
――拙宅は屋根を直そうにも瓦がなく、ビニールを敷き、割れ瓦をのせています。これは全市共通なことで、大別してわれわれ程度は、被害の内には入りません。
とみえ、
かなしい事には、被災者との間にさえ、日まし感情上のヘダタリや差があり、それはあの気のどくな方々と一緒に汚水の中で腹をへらし、ローソクの灯の心細い寒夜を共にしなければ、とうてい、被災地の実感はつかめるものではありません。(中略)現地の人々のイライラと共に自分たちの同情も疲れはでてくると、それがやや実感になって真の同情となってわかって来ます。が、それでもなお自身の中には、同情にかくれて、半分は好奇心もあることに思いあたり、ゾクとしました。
といっている。

私どもの家でも、家族して、のべつ同じような胸の傷みは言いあっている。だが、どうしょうもない思いだ。そして健吉さんも指摘しているように、半分は好奇心へも傾きやすい。マスコミの報道力にしてさえ、その点では、社会の善意をよびおこすことには微少で、むしろ空転作用の方が強いのではあるまいか。
いまさらのようなものだが、こんな際の民主政体のまどろさには鬱々とせずにはいられない。政府攻撃なら、いくらでもいえるが、しかしその政府は私たちの依託機関で、首相以下の役人は、私たちが政治を託している公儀なのだ。だのに私たちには、どうもまだお上まかせの悪クセがついている。それと狭義な個人主義がむすびついて、当局がやるだろう、自衛隊がするだろう、どうかなるだろう、が抜ききれていない。そして政府の無能をののしるだけで、その政府の主人であるお互い国民のこのどうにもできない気持ちを歯がゆらないのは、どうしたことだろう。寄付金に寄贈品に町会までやってはいる。だがそれだけのことだ。現に被災地ではまだまだたくさんな生命が悲泣している。半面の人間悪も横行にまかせている。被災地にすれば「今は南北朝時代か」と疑いたくもなるだろう。

もしこれがソ連や中共の治下であったらどうか。また米国や英国ならどうか。この自国の腹部へできた重症の治癒には、国智と民力を集中して快スピードの政治力と隣人愛とを見せ合うだろう。のろのろした時は措かないはずである。だが私たちの託している権限や法規や政党事情やらで、こんなのろまな動きしかできないのらしい。これは私たち政治のあるじも怠慢だった。私たちにも責任がある。
また一つの民主国家なら、この災害を“運不運”とだけ見て、その災害を分け合わないでいいものでもあるまい。さしあたって、政府同様な政府代行機関を現地におき、それにこの急場だけの最大な発令権をみとめるもいいとおもう。皇太子や首相がヘリコプターで見て帰ったところで何の薬にもなりはしない。被災の民衆が精神的にそれで鼓舞されたなどは、むかしの日本のことである。私たちの公僕はいまだに明治、大正の古帽子がお好きで困る。

私は先年、背なかの真ん中に癰(よう・はれもの)というものを病んだ。初めは豆ツブほどな腫れ物にすぎなかった。しかしそれは命取りの重症だぞと言われたとおり以後二ヶ月昼夜のた打ちまわった。伊勢湾台風の被災地は私には“日本の癰”に思えてならない。そして戦後日本のまだ上っつらな健康でしかない民主政体という体が、よくこれに耐えるかどうかの試練であろうと思っている。

こんなことはいっても、私には能がない。ただ私は、政府だけを責めているのは一層この重患にするだけだと憂いだしたのみである。作家の私はそんな憂いも退けて小説を書くべきだろう。しかたがないから私は明日から書く小説の稿料を当分のあいだ現地の救済資金の内にでも加えてもらおう。そして現地の罹災者諸兄姉の蘇生を祈りながら毎朝机にむかったら、いくらか憂いもかろく原稿紙に向かえようと思っている。

もう一つ言いたいのは、昨今、中京方面にばかりつい気をとられているが、ほとんど同程度の台風被災者がまだあった。この八月の七号台風にやられた山間地方の被災農民たちも、近づく冬におびえているように、それはマスコミからはいつか忘れ去られている。
(昭和三四年十月九日)

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消えた二十二巻

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