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吉田松陰の魂はどこへ

物語を物語る

吉田松陰についての3回目

古川薫「桂小五郎 奔れ!憂い顔の剣士」(小峰書店)から。
古川薫「桂小五郎 奔れ!憂い顔の剣士」(小峰書店)
吉田松陰に関する場面を引用してみました。

(松陰の処刑の)翌朝、尾寺新之丞と飯田正伯が小五郎を訪ねた。ふたりとも松陰の門下である。
「さげ渡してもらうように頼んでみましょう」
彼は獄中の松陰に差し入れをするとき、ずいぶん賄賂も払ったので、牢番の金六と顔なじみになっている。役人への賄賂の分配なども金六が手配してくれるというので、小五郎は五両ばかりを尾寺に渡す。夜になって、飯田がやってきた。
「あすの昼すぎ、回向院で遺体をひき渡してくれるそうです」
回向院は、東京都荒川区南千住に現存する寺である。小塚原刑場での処刑者を埋葬するために建立された寺院で、小伝馬町で処刑された者の遺体もここにはこばれてくる。打合せどおり小五郎が伊藤利輔(のち俊輔・博文)とつれだって回向院に行くと、飯田が大きい甕と墓標にする自然石を積んだ荷車をひいてきた。
まもなく役人があらわれ、境内の西北の一隅にある藁小屋に四人を案内した。粗末な棺桶がひとつ据えてあった。
「吉田氏の死体です」
役人が指さすと、尾寺が走りよって桶の蓋をとった。首と胴の離れた人間の屍が、無造作に投げ込まれている。全裸にされていた。衣服は、刑場で死人をあつかう「小屋者」たちの手ではぎとられるのが習慣である。彼はそれを売りはらって酒代にする。
どす黒く血に汚れた首は、まさしく松陰だった。
「先生!」
尾寺が、泣き声で首をとり出し、乱れた髪をたばねた。小五郎は汲んできた水をそそぎ、松陰の顔やからだを丁重にぬぐい清めた。伊藤が、杓の柄を折り、それを芯にして首と胴をつなごうとすると、
「重罪人の死体は、後日検視があるかもしれぬ。首をつないだことがわかると、拙者らが咎められるのだ。そのままにしておいてくれぬか」
役人は申し訳なさそうにいい、四人が頷くのをたしかめてから、足音をしのばせるように立ち去った。
「かまわぬ、首はつないだままでよい」
小五郎はいいながら襦袢を、飯田は下着を脱いで松陰に着せ、伊藤は帯をといてそれをむすんだ。
「おれの着物は汚れて臭い。先生が迷惑されるから、やめておく」
といい、尾寺はうなだれて小五郎たちがはたらくのを見ている。衣類にくるまれた松陰の遺体を小五郎が泣きながら抱えあげ、甕のなかにおさめた。

涙なしには読めません。

そして、松陰が処刑される前日に書いたのが「留魂録」。
吉田松陰「留魂録」

以下、中央公論社「日本の名著 吉田松陰」の解説から。現代語訳から

松陰は、安政六年十月二十七日の朝、評定所において罪状の申し渡しがあり、その日の午前、江戸伝馬町の獄舎において処刑された。「留魂録」は、処刑前日の十月二十六日の夕方に書き上げたもので、いわば松陰の門下生等への遺書というべきものである。すでに死刑の宣告を覚悟しており、幕府役人の取り調べの様子や獄中の志士の消息を記し、松陰自身の心境と後に続く同士への遺託が切々と認められている。
自筆本は二通作られたようで、一通は、江戸の同志から萩の高杉晋作・久坂玄瑞・久保清太郎名宛に送られた。他の一通は同囚の者に託し、それが明治になって松陰の門下生の手に渡り、萩の松陰神社に所蔵されるにいたった。


以下、心に響く一文があったので、引いてみた。現代語訳から。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置まし大和魂
(私の肉体は武蔵の国の江戸の野原で滅びてしまっても、大和魂だけは、永遠に生きつづけるのだ)

……今日死を覚悟しての心の平安は、春・夏・秋・冬の四季の循環において考えるところがあったからだ。
思うに、かの農業のことをみるに、春に種をまき、夏に苗を植え、秋には刈り、冬はその果実を貯蔵する。秋・冬になると、百姓はみなその年の労働の成果を喜び、酒を造り、甘酒をつくり、村中に歓声がみちみちているのである。いまだかつて、秋の収穫期にのぞんで、その年の労働が終ることを悲しむものを聞いたことがない。
私は今年で三十歳になった。まだ一つのこともなすことがなくて死ぬのは、穀物のまだ花が咲かせず実を結ばないのに似ているから、惜しいような気持ちもする。しかしながら、この私の身についていえば、花咲き実を結ぶのときである。かならずしも悲しむことはないであろう。なぜならば、人間にの寿命には定めがない、穀物の成育のようにかならず四季を経過しなければならないのとはちがうのである。
十歳で死ぬ者は、十歳の間におのずから四季があり、二十歳にはおのずから二十歳の四季があり、三十歳にはおのずから三十歳の四季がある。五十歳、百歳には、それぞれおのずから、五十歳、百歳の四季があるものだ。十歳をもって短すぎるというのは、数日しか生命のない夏蝉を、何千年も生きているという冥霊とか大椿とよばれる長生の霊木のようにしようと欲するようなものである。百歳をもって長すぎるというのは、この冥霊や大椿の寿命を夏蝉のごとき短命にして欲するようなものだ。そのどちらも、天命に達しないとすべきであろう。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、また花咲き実は結んでいる。それが実のよく熟していないもみがらなのか成熟した米粒なのかは、私の知るところではない。もし同志のなかでこの私の心あるところを憐れんで、私の志を受け継いでくれる人があれば、それはまかれた種子が絶えないで、穀物が年から年へと実っていくのと変わりはないことになろう。同志の人々よ、どうかこのことを考えてほしい。

この魂の叫びは、松下村塾の門下生の高杉晋作や、松陰を師とした桂小五郎らに受け継がれたのだ。

これは資料3となります。
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