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物語を物語る

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「銀」は日本人の美意識、つまり魂だということ。

物語を物語る

司馬遼太郎 ドナルド・キーン 対談「日本人と日本文化」(中公文庫)から、「金の世界 銀の世界」という章の部分を取り上げます。
日本人と日本文化 司馬遼太郎 ドナルド・キーン

要点は、日本文化は「しぶい銀の文化」であるが、外国との交易が盛んになるとキンピカの「金の文化」になる。これを時代とともに繰り返えしているということ。
また、この「銀の文化」は日本文化特有の「美」であるが、逆に、けばけばしい金の文化は「朝鮮」や「中国」、「ヨーロッパ」で好まれるということといったことが語られています。
以下、その部分の書き起こし。興味深い部分は太字にしてみました。

(前略)
司馬  (銀閣寺を見て)今夜は、たまたま状況がよくて、三日月がかかっていまして、……さっきまでかかっていた雲がスッと晴れました。そして月光といえば淡い月光のもとで見る銀閣というのは、美といえば完璧な美みたいな感じがしました。
(中略)
キーン  ここでちょっと銀閣寺の「銀」ということを考えてみたいのですが……。要するに当時の日本人にとっては、どうしても銀よりも金のほうが大切で貴重だったはずです。もうすでに義満が建てた金閣寺があって、これから自分が建てるものははじめから前のものほどになれないということを知っていた。定義として銀は金ほど貴重ではないし、そして実際の建物からいっても、金閣寺のほうがはるかに立派であったでしょう。義政は、はじめから自分の世界に限界があると感じたのじゃないかと思います。
司馬  むしろ限界を意識的に設けておった人かもしれませんね。
キーン 自分の時代は金の時代ではなく銀の時代である、と。しかしここで私は考えるのですが、日本人の趣味からいうと、どうも金より銀のほうが合っているような気がする。金のような温かい黄色い色よりも、銀のほうが合っているような気がする。銀のような淋しい色の方が日本的じゃないかと思います。ちょうど世阿弥が『九位』で書いたように、花にはいろいろな段階がありますが、一つは銀の鉢に雪が積もっているような美しさ――――これは私にとってひじょうに日本的な美の観念です。そういう意味で、あるいはあとの時代の日本人にとって金閣寺より銀閣寺のほうが親しみやすかったのではないでしょうか。しかも東山文化の墨絵、お花、茶の湯というものは、同じ銀の世界のものとして受け取られたと思います。日本にはあらゆる趣味があるにちがいないのですが、もしも日本的な趣味を一つだけに絞ろうと思ったら、私は東山時代の文化じゃないかと思います。
司馬  私もそう思いますね。
キーン 絢爛たる『源氏物語絵巻』は、あるいは日本の絵画として最高にすぐれたものかもしれないのですが、そういうものは、二つか三つしかない。しかし、銀閣寺の東山文化の伝統を引いているすぐれた作品は、無数にある。それは日本人にとっていちばん親しみやすい、理解しやすいものだからでしょう。
司馬  日本人にとっては、ある意味では、金閣寺のほうはどうもけばけばしくて、銀閣寺のほうがしぶいと思ってしまうところがありますね。それはさっきの金・銀の比較でそう思うんでしょうね。
(中略)
司馬  さっきおっしゃった日本人の好みは金か銀かということですけど、金閣をつくる足利義満の時代というのは、東アジアの貿易圏というのがありますでしょう。揚子江より南のほうの沿岸地方に、いまの香港のようないろんな貿易港ができはじめたころで、貿易商人が日本まで来てる。日本からも行くわけです。だから、足利義満もそれにのっかって、貿易で金儲けをしたい、足利幕府というのは将軍家として貧乏ですから、金儲けのことばかり考えている。領地はほとんど有力な大名が握っているし、だから、自分の金儲けのために明へ貿易船を出すでしょう。当時そういう東アジア圏の貿易の勃興時代に義満はのっかっているわけです。だから、義満の庫にはずいぶんとお金が入った。義満を儲けさせるように具体的に動いていたのは京都の町民ですね。
(中略)
ところが足利義政にはその貿易ができなかったわけですね。義政のときになると、鎖国じゃないのに、あれはどういうわけかな、なんだか外国から受けるいろんな事情が壁一重だけれども閉ざされてしまう時代で、そういう閉ざされた感じの中から東山文化という、キーンさんのおっしゃったいわゆる<日本的>な特殊文化ができるんです。これがいわば義満の金に対する義政の銀の文化ですね。
ところが、そのずっとあとになってくると、たとえば織田信長が京都を支配することになってくると、金があざやかに復権します。盛んに彼は「洛中洛外図屏風」というのを画かせます。あれは信長のアイデアですね。信長はいま生きていたら、芸術家か何かになったんじゃないでしょうか。(中略)
とにかく金キラの極彩色で、しかも必ず必要な点景人物がいるのです。それはポルトガル人、南蛮人で、この点景人物がいなければ洛中洛外図は成立しない。日本の犬でない犬も歩いている。必ず歩いているのです。それからアフリカ人のような者もいる場合がある。それは南蛮人が従者としてつれている。南蛮的な点景が入らないと花の都の景色にはならない。
私の家にも「洛中洛外図屏風」の、まだこのあいだ書いたかと思われるようなものがあったのですよ。私はそれを虫眼鏡でさんざん楽しんだのですが、とにかく南蛮人がいっぱいいるのです。一度京都博物館で洛中洛外図屏風展という展覧会がありまして、そのときにその屏風は出陳されたたくさんの屏風のカタログだけを見たのですが、やはり全部に南蛮人がいます。
だから話は結局、金キラの金と、しぶい銀の話に戻るのですが、足利義政はそうやって日本的なオリジナルをつくったかもしれない。それによって東山時代というものがつくられたかもしれない。けれども、あとでもう一ぺん日本は膨張するんです。こんどは南中国でなくて、南蛮にひろがっていく。その時代は具体的にいったら、結局織田・豊臣時代、徳川初期、それくらいまでが日本文化の第二の青春時代で、さっき話に出たキリスト教が入ってきたり、いろんなものが入ってくるわけですけれども、「洛中洛外図屏風」で象徴されるのは、日本文化の青春みたいな感じです。東山時代というしぶい銀の時代があるのですが、そのしぶさもいい。だが金々満々も使おうというところがあるでしょう。そして、たとえばお城の屏風なんかを画く場合に、金屏風に大きな松の木を画くでしょう。あれは絵師があまりに忙しかったからだという説がありますね。つまりほうぼうでお城ができるし、大きなものを画かなければ間に合わないから、狩野なにがしの工房みたいなものがあって、ほうきのような筆で画いた。素描を先に描いておいて、弟子がいろいろ色をつけるのだろうけれども、みんな大ぶりになって豪華絢爛ですね。日本人の趣味における金の復活だと思うんですよ。あれはやっぱり足利義満の時代と同じように、世界にパッと窓が開かれていた、その気分が金だったのではないか。世界にたいして窓を閉ざすと、〈日本的〉なものが生まれる。となると、銀が復活する。日本の文化史のなかでは。このことはくり返すようですね。

キーン 何がいったい〈日本的〉であるか。日本独自のものは何か。これはなかなか言えません。たとえば陶器のなかで何が日本的か聞かれた場合、もちろん私の意見は、おおかたの人と同じような意見になります。柿右衛門のようなものじゃなくて、志野とか、織部とか、そういうものがいちばん日本的であると思うのです。ある意味ではひじょうに粗末に見えるようなもの、もちろん、わざと粗末さを出すために努力したのですけれども、きれいな伊万里焼きとか柿右衛門焼きよりも、あのほうがどうしても日本的だと私は思う。かりに中国に同じようなものがあったとしても、また朝鮮にまったく同じようなものがあったとしても、美術としてちょっと見られないような……。
司馬  つまり中国や朝鮮ではいいものとして礼遇されなかったですね。
キーン 向こうの人たちは、それは百姓が使うものか、それとも、できの悪いものと思ったにちがいないのですけれども、しかし日本人は、わざとそういう粗末な感じを出そうとして努力した。――――私が言うまでもないことですけれど、今日までひじょうに日本の影響を受けてきましたから、すでに外国人としての新鮮な目はもっていないといっていいでしょう。しかし、私はああいう作品を見ると、やはりひじょうに日本的だと思う。どうしてあれが日本的であって、日本でできた青磁が日本的でないか、よく説明しにくいですけれども、どうしてもそう感じるのです。
司馬 それはわかります。たとえば千利休という人がつまらない百姓茶碗をとり上げて、これは千金の価だと言って美の発見をしますね。利休という人は、絵を画いたこともなければ建築を造り上げたこともないし、要するに芸術家としてのいかなる創造もしていないんですけれども、道ばたに転がっているような茶碗を変な具合で発見していく点での芸術家だと思います。ただ発見してくるだけではつまらないというので、それを見ていた古田織部が、ちゃんとした茶碗をいったん割るんですね。割って接ぐんです。金と漆をこね合わせて接ぐと、接ぎ目が自然な木の枝みたいな格好になって、その色合いといい、それによってふえた重みといい、とてもいいんだといって喜ぶでしょう。割れたものを接いで喜ぶという美意識は、(日本人以外に)どこにもないでしょうね。割れたものというより、むりろ割って、それから接いで、それで創造したことに古田織部にいわせればなるわけですけれども。
キーン 西洋文化には、ああいうものはほとんどないと思います。ヨーロッパでは、たとえばレンブラントの油絵で、某々家族のなかにずっと前からだいじにされていて、いま出してみると、レンブラントが画いた当時と全然変わらないような色彩のものであったという、それが最高にいいものだということですね。つまり時間が全然ない。レンブラントの時代と現代との時間が全然たっていないように、画いた同日のような色彩の感覚があったら、最高に喜ばれるのです。ところが、私はいつかアラブ人の美学についての講演を聞いたことがありますけれども、アラブ人はそうじゃないようですね。やっぱり時代を感じないとおもしろくないという考えが強い。私はアラブ語は知らないのですけれど、バーラックという言葉がある。バーラックは、ヨーロッパの言葉バロックと密接な関係があります。バーラックという意味は、宝という意味です。しかし、私の理解したところでは、時代ととも物につく……なんというか、定義しにくい神秘なものです。だからたとえばレンブラントの絵だったら、もし当時と全然変わらないようなものを現在でも見られるとしたら、バーラックではないのです。しかし、もし三世紀前から今日まで残ってきた味とか、三世紀前からのひびがついていたら、そのときこそはじめてバーラックを感じさせるんです。それは利休の精神とそれほど変わらないような気がします。
司馬  なるほど、それはよく似ています。利休の精神どころか、いまだって、私ども京都の太秦の広隆寺で弥勒菩薩を見て、これはいいものだとほんとうに思いますけど、あれはできあがった当座は金箔か何かを押してあったんでしょう。キンキラキンのものでしょう。頭だって、何かちゃんと飾りがあったろうと思うんです。もとの塗りが全部はげて、地肌しか見えない。それも千年くらいたっていて黒っぽくなっているというので、なにかおもしろさとか美しさを感じていくというところがありますね。中国人ですと、私はあれは塗り直すんじゃないかと思います。朝鮮では必ず塗り直しますね。たとえば、法隆寺などの古い建物で、朱塗りもはげていますけれども、朝鮮だと、いちいち塗り直します。そして青、赤、ひじょうにどぎつい、どちらかといえば日光東照宮に近いような状態にしておくことを、喜ぶほうです。
(後略)

先日、ドナルド・キーンさんは、東日本大災害があって日本に永住することを決めたというニュースを聞いて感銘を受けました。(当サイト的には三島由紀夫関連でお世話になっております)http://www.news24.jp/articles/2011/04/27/10181731.html
本書を読むと、日本文化に深い愛情があるので、司馬遼太郎よりも鋭い視点が多々見られるのが面白い。

さて、ここでは、「銀=日本人の美意識、つまり魂」であるということだけでも押さえておいてください。
これは資料4になります。
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