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物語を物語る

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新田義貞vs足利尊氏 一騎打ちの真相

物語を物語る

さて、義貞集中講座4回目

今回は義貞が尊氏に仕掛けた一騎打ちのことを書きます。
大将同士の決闘は実現することはなかったんですが、(あったら映画みたいですね)
あわやというのが、2回もあったんです。
まず一度目は、建武三年の京都で、義貞をはじめとする宮方と足利方とのあいだで繰り広げられた戦の時のこと。
京を占領していた足利方に、義貞は大軍を率いて奪回を試みた。足利方は予想外の大軍を目の前にすると、都を捨て四方八方に逃げ去ったのである。
義貞は、この好機を逃すまいと、何と鎧を脱ぎ捨て、ただ一騎で足利軍に突進した。義貞は、尊氏を見つけ出しその命を奪おうとしたのである。目ぼしい所を駆け回り、必死で探したが、結局尊氏は見つからなかった。すでに尊氏は事態を把握して前線から遠のいていたのである。義貞は尊氏がすでにここにいないことを悟ると、やむなく本陣に帰った。このとき敵中深く侵入しながら、傷一つ負うことはなかった。
おーすごい無茶しますね。
二度目は、その半年あとのこと。京は足利方に占領されていた。そこを宮方の兵二万の軍勢で攻め入った。この合戦は、宮方の悲壮なまでの決意を秘めたもので、この直前の湊川の合戦で、楠木正成が戦死し、宮方が大敗したのである。
京を足利方に奪われた宮方は、討ち死に覚悟の底力で足利軍を押しまくった。これが功を奏して、義貞の軍は中央突破を計り、足利軍を分断させることに成功した。そして、尊氏が本陣としていた東寺まで迫ったのである。

以下、小説からの引用、長ったらしい文章なので読み飛ばしてください。
「あたりを守備していた足利方の兵までが引いてしまったため、尊氏はわずかな士卒とともに寺に取り残されてしまったのである。ここに尊氏の命を狙っていた義貞にとっては、千載一遇の機会が到来した。出陣の際、帝に、東寺へ矢の一本でも射ち込まずには帰参いたさんと誓っていたから、願ってもないことであった。
あの尊氏が目の前にいる、そう考えただけでも自然と高笑いしてしまう。さっと馬から飛び降ると、弓を杖にして、引きこもる尊氏に対して高らかに呼びかけた。
「天下の争乱は打ち続き、人々は平穏な日々を送れずになって久しい。これは天皇御両統のお争いであるとはいえ、ただ今となってはこの義貞と尊氏との争いに他ならない。一身の功名によって、多くの人々を苦しめるより、この身一つで戦いを決しようと思い、義貞自らこの軍門にまかり越した。嘘かまことか、この矢を一本受けるがよい」
こういうと、二人張りの弓に十三束二伏の矢をきっとねらいを定めて引きしぼり、弦音も高くさっと放った。矢は二重に築いた高櫓の上を越えて、尊氏が本陣とした幕の中に入り、本堂の柱に付け根深くまで刺さり、ゆらゆらと揺れていた。
「さー、尊氏出て来い」
義貞は心底から叫んだ。これはひとつの賭けであった。それに尊氏は必ず乗ってくる、そう確信していた。尊氏も我と一騎討ちがしたいはずだ。尊氏の心の内は分かっていた。同じ源氏の名門に生まれ、大将として軍を率いる孤独を知るのはこの二人しかいない。互いにどちらか倒さねば先祖からの宿望を果たされない。そしていつかは直接果たし合わなければならない宿命なのだ。
今、まさにこの時が来た。

固く閉ざされた寺を義貞の兵が固めていたが、これから開かれるであろう門をじっと見つめ誰一人声を発することなく沈黙を守っていた。だが皆の心の中では、これから起るであろう決戦に興奮していたのである。
そのとき城砦と化した寺の中では、尊氏と彼を守る家臣らが楽観的にこの様子を窺っていた。この本陣まではそう易々と攻め入ってはこないだろうと家臣らは思っていたのだった。
だが義貞が放った矢が本陣まで届いたときに、さすがに足利方に動揺が走り、兵士たちが慌て始めたのであった。義貞の言を泰然と聞いていた尊氏だが、ここまでされては黙っていられない。
「帝を倒そうなど思ってもいない。ただ義貞と会ってから怒りを晴らさんがために戦ってきたのだ。義貞と自分が一騎討ちして決するならば願ってないこと。さあ門を開けよ、討って出るぞ」と言うときりっと立ち上がり、素早く名刀の太刀を手にした。義貞の誘いに尊氏も明らかに高揚したのである。ここまで挑発されては大将としての面目も立たない。
この様子を見た家臣上杉伊豆守が尊氏ににじり寄ると「義貞の言うことに惑わされてはなりません。殿の命は殿だけのものではありませぬぞ」と諫めた。
尊氏は思わずカッとなって家臣を睨むと「なにっ、太刀打ちで義貞に負けるとでも言うのか」声を荒げた。そして憤怒の顔つきになって出て行こうとした。
そこを上杉伊豆守は両手で尊氏の腰に抱きつき「殿は大将ですぞ。軽はずみなことはなりません。これしきのことで取り乱すようでは足利家代々の宿望を果たし、天下を治めることなどできませんぞ」と訴えた。
重みのある言葉であった。
尊氏は思わず、足を止め、そのまま腰を落とすと、目を閉じてじっと動かなくなった。上杉伊豆守もその横に座り、静かに大将見据える。周りに侍っていた家臣らも事の成り行きを案じるように固唾を呑んで様子を窺った。
尊氏は熟考した。いつものように心を落ち着けようとした。焦るな、考えろ、そう自分に言い聞かせた。(待て待て、義貞の行動は追い込まれてのことだ。奴にはそれしか策はないのだ。そうそれだけこちらの方が優位なのだ。敵に囲まれて、のこのこ出て行けば、これこそ義貞の思うつぼだ。焦るな。一騎討ちなどという甘い言葉に乗るな)
尊氏も武士である以上、一騎打ちというものに対して深い憧れがある。一族の長が雌雄を決するために家臣の前で剣を交える、思う浮かべただけでも身震いするほど厳然かつ甘美な情景だろう。だがそんなものに命を掛けるほど、己の命が今となっては軽くないことに尊氏は気付いた。義貞は今この状況に陶酔している。ならば、我はそれを無視しよう、捨て置くことで、優位になるはずだ。そう思い至るといつもの尊氏らしい鷹揚さを持った表情で微かに笑みを湛えながら、静かに目を開けた。そして、もう大丈夫だといった表情を上杉伊豆守に向けた。

そうこうしている内に、足利方の土岐・石堂・吉良の軍が引き戻り、義貞軍を取り囲むと、逆に攻撃を開始した。尊氏ただ一人を斬れば足利方は霧散し、この戦も終わる。そう考えていた。
尊氏の籠もっている寺に変化がないのを見て、義貞は悟った。尊氏は出てこないと。ここに留まっている時はもう残されていなかった。今日限りの命と覚悟を決めての戦いであったが、この賭けに尊氏は乗ってこなかったのだ。このような好機は永遠にやって来まい、と思うと一人でも討ち入ろうとしたが、既に数万の敵が、義貞がここにいると知って攻め寄ってきていた。やむなく義貞は退却の命を出した。
ただ宮方の軍は敵陣深く侵入したため、包囲殲滅に会って名和長年ら名だたる武将が討ち取られてしまった。それでもどうにか義貞軍は坂本の本陣までたどり着いたのであった。こうして宮方は完全な大敗をした。
「すべて水泡に帰したか」義貞の落胆は大きかった。京都攻防戦の最後の賭けに出て、無残に敗れた。戦の勝ち負けは時の運なれど、この敗戦の意味は大きかった。
この攻撃に全てを賭けていた。尊氏を同じ舞台に引きずり出し、あわよくばその首をかき切ってやろうと思い描いていた。ことならずとも、大将に一太刀でも浴びせられれば、足利の威信に傷がつく。それは尊氏の命と自らの命と引き換えにしてもいいさえ思っていた。現状足利方は尊氏一人でどうにかまとまっている。尊氏さえいなくなれば、足利方は分裂し、宮方は一気に巻き返しを図れるだろう。大将同士の一騎討ちはそこを狙っていたのである。だが尊氏を目前にしながら結果は無残であった。
ただ尊氏も今一歩で出てこようとして、踏みとどまったという事実を義貞は知らない。尊氏の思慮深さに義貞は遂には勝てなかった。
こうして宮方は壊滅的打撃を受け、大将である義貞も追い詰められることになった。
そこに追い打ちをかけるように、あの事件は起こったのである。
後醍醐天皇と尊氏の和睦の件であった。
後醍醐天皇はこの情勢から脱却すべく、今まで頼ってきた義貞ら一族を裏切った。尊氏と密かに和議を結び、秘密裏に都へ帰ろうとしたのである、あっさりとその態度を変える変節感は、真に公家らしい行為といえるかもしれない。
後醍醐天皇は新田と足利の源氏を互いに争わせて、武家の勢力を殺ごうとしているのではないか。それとも優位な方へ擦り寄り、利用しようとしているのか、義貞のみならず、一族の者も感知していることであった。そう疑えば一々思い当たる。天皇のみではない。周りに巣食う公家どもの東戎と見下すあの言動。宮方として戦いながらも、公家衆に翻弄されていると感じると、なんともやり切れない思いになった。
天皇は、尊氏との密約が新田方に露見すると、新田一族の激高を収めるためか、皇位を恒良親王に授けて、義貞らに北国に落ち延びて再起を図るように命じたのである。新帝を付けられたとはいえ、義貞らは見捨てられたに等しかった。しかも厳冬の中を敵に追われながら進軍するのである、味方の戦力は減るであろう。それに、例え彼の地に着いたとしても、足利方の斯波高経が大軍を持ち威を張っていた。そんな中で味方となる勢力があるだろうか。考えただけでも、絶望という言葉のみが限りなく心の中を覆いつくす。

その夜、義貞は漆黒の闇を馬で駆け、比叡山にある日吉大社に行くと、一族の命運を祈願した。(注釈、この夜に願文を授けるが。これがこの小説の核となる)

寒々とした空は、いつしか白々と明けた。
その日の早暁、天皇は京へ去って行った。取り残された義貞らは、それを見送ると、数日後の内に、兵七千を引き連れ北国に落ちて行った。その行軍中に、寒雪は容赦なく責め、寒さと疲労で軍が徐々に弱体化したのであった。そこに足利軍が攻めてくる。多くの兵を失い、精神的にも肉体的にも衰弱しながらも辛うじて越前にたどり着いたときには、味方の兵は半分に減っていた。」

というわけで、義貞はなぜこれほどまでに、尊氏との一騎打ちにこだわったのか。
武勇を示すため。もちろんそれもあります。しかしそれだけで、尊氏の命を狙ったのではないはずです。ただこの行動が、義貞の評価を下げる一因でもある。それは、無鉄砲で、突飛で、大将がする行為ではないと、いったことです。そう確かに、一見すればそうかもしれません。
しかしその奥には義貞なりの論理、真意があったはずなのです。
足利方・北朝方は、足利尊氏の人格でようやくまとまっていた烏合の衆なのです。利があれば、今日は宮方・南朝方、明日は足利方という武将は実に多かった。それでもバサラと呼ばれる派手好きで荒くれ者たちはなぜか、尊氏のもとに集まった。(まあ、そんな武将たちが公家の下には従わないでしょうが)尊氏には、その清濁併せ呑む寛大な心があり、大将として必要な資質を持っていたことになる。尊氏のカリスマ性が足利方を一つにしていたんです。
「尊氏さえ、いなくなれば足利方は瓦解する」そう義貞は直感していたに違いない。だからこそ尊氏の命を狙っていたのである。そのためには、自分の命と引き換えにしてもいいとさえ思ったはずです。だがらこそ、無謀でありながらも決然とした行動をさせたのである。(これはすべて私の解釈ですが)
尊氏は足利一族の棟梁のみならず、北朝方のリーダーである。一方、義貞はどうかといえば、宮方の大将ではない。宮方のリーダーは後醍醐天皇であり、軍事面の指揮官は義貞であっても、公家の高位の者が口出しをしてくるのである。(だからこの点を考慮しないと、義貞の評価は全く違ったものになってしまうのである)
さて、武家の棟梁の資格は、源氏の名門であることが必要である。しかも、それは、清和源氏の直系であることが望ましい。直系である源頼朝は3代で途絶えた。このとき清和源氏の正統な後継者は、足利尊氏と新田義貞の2人ということになるんです。
だから義貞は「…ただ今となってはこの義貞と尊氏との争いに他ならない…」といったのだ。この真意はどこにあったのか。
尊氏の命を取って、新田一族が優位に立とうと考えたのではないか。
武家の棟梁になることは、新田一族の宿願だった。それを適えるのに、もっとも障害となるものは尊氏の存在でしょう。弟の足利直義は頭はいいが、武将の器となると、どうだろうか。生真面目過ぎて、性格的にバサラ大名と気が合わないだろう。(のちに、バサラの代表である高師直と対立する)
「尊氏のみ」義貞にとって敵は、彼一人だったのかもしれない。

追記   南北朝時代を書くのは難しい。説明をどこまですればいいのか分からない。信長なら「桶狭間の戦い」とか「安土城」とかキーワードだけで通じるが、南北朝時代だとすべてを説明しなと、話が通らないかもしれない。
まあ、「新田義貞は歴史書で言うほど、凡将ではないな」ということだけが伝わればそれだけでいいと思っています。
いまはただ、義貞ファンが一人でも多く増えることを祈って書いているおります。
というわけで、義貞記事はしばらく続きます。
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