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物語を物語る

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「涼宮ハルヒ」と「麻生太郎」と「新井白石」

物語を物語る

「涼宮ハルヒ」と「麻生太郎」と「新井白石」の記事を3つ並べてみました。一見なんの脈絡がありませんが、むりやりつなげていつもの持論(迷論)をグダグダ書きます。

まず、日本経済新聞 2011/6/12の記事にこんな記事から。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819696E2EAE2E0908DE2EAE2E4E0E2E3E38AE1E6E2E2E2

「涼宮ハルヒ」にアジアが行列 出版各社が攻勢 小説、5カ国・地域で同時発売

角川は先月25日、「涼宮ハルヒ」シリーズの新作「涼宮ハルヒの驚愕(きょうがく)」を日本、韓国、台湾、香港、中国の5カ国・地域で同時発売した。新刊書籍の同時発売は、同社として初の試みだ。
同シリーズの4年ぶりの新作とあって発売当日には深夜営業する書店も現れ、各国でファンが行列を作った。初版の国内での発行部数は前編後編2冊合計で102万部、海外を合わせると約130万部と、ライトノベルで史上最多だという。
作者の谷川流氏から角川に、新作が完成したという連絡が入ったのは昨秋。国内だけならすぐにでも発売できたが、角川は谷川氏の了承を得たうえで、あえて半年遅らせてでもアジアで一斉に発売すると決めた。
「涼宮ハルヒ」シリーズは、これまで世界で計1650万部(国内はうち800万部)を売り上げている大ヒット作。「過去の作品は15カ国で翻訳されており、新刊を待ち望むファンにいち早く平等に届けたかった」と角川書店の井上伸一郎社長は話す。
涼宮ハルヒの驚愕 中国版
(中略)
アジア同時発売に先駆けるように、角川GHDは昨年5月、中国・広州に49%を出資する合弁会社を設立した。これまでライトノベル70タイトル以上を翻訳・出版し、市場の大きさは確認済みだ。今後は涼宮ハルヒ関連のオリジナルの雑誌の創刊や、キャラクターグッズを発売する計画もある。「将来的には、新刊と同時に電子書籍も世界中で販売する展開も検討したい」(井上氏)
(中略) 
集英社は5月15日から、中国・杭州で発行されている新聞「銭江晩報」で人気漫画「ONE PIECE」の連載を始めた。第1話から掲載し、連載期間は未定という。
 同作は累計発行数が2億冊を超えた国内有数の大ヒット漫画。中国でも600万部を販売している。漫画の出版を手がける中国の出版社と、今回の新聞社がグループ会社だったため掲載を許諾した。「中国での普及と、市場拡大につながれば」(集英社)と狙いを話す。
 涼宮ハルヒもONE PIECEも、出版社にとっては業績をも左右しかねないキラーコンテンツの一つ。ただ国内だけをターゲットにしていては、今後大きな市場拡大は期待できない。官主導の「クール・ジャパン」に後押しされるまでもなく、成長が期待できるアジアへの展開を急ぐのは、各社にとって必然的な流れなのかもしれない。

涼宮ハルヒが経済という観点で日経新聞に載ったということも驚きだが、全世界で計1650万部も売れているということに一層驚愕させられた。(「驚愕」読みました。面白かった。過去記事)
これがライトノベルやマンガ、アニメだからといって軽視してはいけないと思う。日本発の「活字の本」で世界が注目するというものが、ほかにあるだろか。世界で名の通った作家でいえば、ほかに村上春樹ぐらいしかちょっと思い浮かばない。
この新聞記事サイトには、「涼宮ハルヒ」の発売日に書店の前で行列を作る台湾の若者の写真が掲載されていたが、日本から発信された文化に、世界中に熱心なファンがいるという事実を見逃してはならない。(アニメは北米で評価が高い)
言語も文化も違う世界の国々で、同じストーリーのものを読み、同じキャラに共感(萌え)することができるというは実に素晴らしいことなのですよ。
それに、国力が衰退していく現状の日本において、世界に発信できるモノがあるというのが、いまや貴重な存在といえる。まさに、これを日本文化といわずして、何を日本文化というべきなのだろうか。(和田アキ子がハルヒを知らないくてもいい、劇団ひとりがオタクをバカにして「けいおん」のフィギュア齧じろうがこんなアホどもはどうでもいい、大事なのは、世界に熱狂的ファンが多くいるということだ)
過去記事 アニメは日本文化を救えるか  第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。

アニメは日本文化を救えるか 第8回 大切なことは何か


さて次が麻生太郎。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110613-00000001-gendaibiz-pol

北京で久々に炸裂した麻生太郎「文化担当特使」に民主党外交は学べ 「ポケモンはキュッキュとしか言わないが世界で通用するじゃないか
久々に、'麻生節'が、北京で炸裂した。
 先週、麻生太郎元首相が、なぜか菅直人首相の「文化担当特使」として、6月8日からこちらで始まった「ジャパン・フィルム&テレビ・ウィーク」に合わせて北京を訪れた。
ポケモンはキュッキュッとしか言わねーが、世界中で通じてるじゃねーか。文化交流ってのは、言葉じゃねーんだ。日本の素晴らしいコンテンツは、世界で通用するんだよ! 
「韓国は文化開放に踏み切ってから、日韓関係は劇的に改善された。あんたんとこ(中国)も、早くそうすべきだ! 」
 まさに麻生特使の行くところ、拍手喝采が鳴り止まない。皮肉なことに、民主党政権下になって、これほど北京で人気を博した日本の政治家はいない。

この記事には記者の文章が続く。

21世紀の日中関係において、日本が中国に勝てるのは、たった3つの分野しかない。それは、「先端技術」「サービス」「オタク系文化」である。他のあらゆる分野が早晩、中国に追い越されるだろう。
 だがこの3分野だけは、いわば日本の誇る「三種の神器」である。こうした日本の優位性を、もっと中国にアピールすべきなのだ。

まさにその通り。自国(民族)の独立やアイデンティティは、自国の文化によって保たれる。だからこそ「文化」は大切なのだ。
三島由紀夫も福沢諭吉も新井白石も、過去の偉人たちはみな「自国の文化」を高めることを訴えてきたのだ。
過去記事 守るべきは日本文化! サブカル好きもポップカルチャー好きも、神社に集う歴女もアニオタも、みんな三島由紀夫が命に代えて主張したことを聴け!

ということで、ここで新井白石の人生を基にした小説、藤沢周平の傑作小説「市塵」から、これらに関連するような箇所をいくつか引いてみる。
藤沢周平 市塵

 使節は興味深げにこれら舞楽を見終わったが、中に陵王、納曾利などの高麗楽が含まれていたのは感動したらしく、正使趙泰億は、これらの楽はその名は伝わるものの、楽譜が絶えてわが国ではいまはその舞を見ることができない。しかるにこの国がその楽を伝えていて今日目のあたりにすることができたたのは東来(訪日)の一大幸事である、と言った。
これらの舞楽は昨年上京のときに、白石が狛近家の楽人たちと入念に打ち合わせて用意したものだったので、遠来の使節を楽しませ、かねてからわが国の文化の浅薄ならざることを知らしめるという白石の目的は、二つともに達せられた。

  この日の白石の胸にはもうひとつのもくろみが隠されていた。友好といっても、相手はこちらを、文化的に一段劣る民族と眺めている知識人である。その観念は牢乎として抜きがたいものがあるだろうことが予想された。しかし一方で白石は、今度の朝鮮通信使の来日は、この種の偏見をただす数少ない機会のひとつに違いないと考えていた。機会をとらえて彼らの固定観念にゆさぶりをかけるべきだった。
わが国の文化はもはや昔日の比ではなく、彼らが持つ文化に何ら遜色のあるものではないことを認識せしめる。それが阿諛迎合に拠るのではない真の友好、親睦をもたらし、ひいては白石の意図する対等の国交の基礎ともなる、という考えである。
そういう意図(朝鮮使節使の優越意識にゆさぶりをかける)なり、対応の仕方なりが、相手との間に、今度の改革全般について回っているような、ある種の緊張した空気をもたらすことも十分に予想されたが、白石はそのことをさほど恐れてはいなかった。その種の緊張を乗り越えないことには、お互いをあるがままに認識した上に築かれる対等の世界を生まれないことがわかっていたからである。

 朝鮮使節使の心中にある文化的な優越意識……、中国の風俗をいまに伝え、中華の精髄を遺すのは、天下にわが朝鮮国だけであると、誇らかに言った。露骨なお国自慢、自画自賛というべきものだった。……彼らの選民意識が露骨に出たというばかりでなく、日本を上から見下ろして物を言っているという意味で、かなり無礼なものであった。

 これに白石は反撃した。
「貴国は、周の武王によって貴国に封じられた殷の公人箕子にはじまる国なので、諸君子の来日に大いに期待していたが、いま目のあたりに儀容冠帽等を見るに、それはわずかに近年に明朝の制服に過ぎない」と白石言った。通信使の中華意識、選良意識にまず一撃を加えて、これもなかなか辛辣な言葉である。
白石はつづけて、現在の清国はこのところ制度、文物を改変し、固有の風俗の普及を強要して天下の統制をすすめようとしているらしい。しかるに、すでに清国に臣属を誓っている貴国や琉球国が、いまなお弁髪、左衽を強いられずに済んでいるのは、はたして清国の寛大な処遇のせいか、それとも両国がわが国を後盾としているためかは、何とも言えないところではなかろうかと言った。
豊臣秀吉が二度にわたって仕掛けた侵略戦争が終わると、朝鮮ではかねてからくすぶっていた官僚間の党争が再燃し、およそ五十年ほど前の、わが国の万治二年に起きた己亥礼論を境に、その抗争は次第に激化した。
すなわちわが国の延宝八年に起きた庚申大黜陟と呼ばれる政変では多数の死者を出しし、さらにその後も、党争は王室の世子柵封問題を巻き込んで、李王朝存立の基礎をゆるがすところまで発展した。その様子をすばやく見て取ったらしい、清の康煕帝が、自分の子の一人を、朝鮮王の養子にしたいと申し入れたといううわさがあった。ごく最近のことである。清の皇帝の半強制的なその申し入れは、体のいい譲国の要求にほかならない。
おどろいた朝鮮側は、朝鮮は代々日本と隣交の誼を通じていて、李王朝あるかぎり日本との交際は万世にわたって変じないという約定がある。いまもし要求を容れて李氏が国を譲り、国名が変わるようなことになれば日本との約定はどうなるか、不測の事態にもなりかねないので話はお受け出来かねる、と断ったという。
白石が耳にしているのはそういうことだったが、同じことは昨年対馬藩から幕府に提出された報告書にも記されていて、それにはもし清国の要望を辞退しても聞かれない場合は、これは朝鮮滅亡の時だから、日本に加勢をたのむしかないなどという話があったことも書かれていた。
白石の反駁は、そういう事実にもとづいて行われたので、趙正使が言った清国もわが朝鮮を礼儀の国と認めて非礼を加えることはないという自画自賛的な言葉に対する、痛烈なしっぺ返しとなった。趙泰億はこれについては黙して答えずという態度で応じたが、白石に痛いところを突かれたのはたしかだったろう。……そばに事なかれ主義の幕府要人たちがいたら色青さめたろうと思われる……

 

 今度の通信使来日を前にして、白石と家宣との間に出来上がった合意は、応対儀礼を含む両国の交際にみられる偏り、前回の天和度の通信使来訪で頂点に達した観のある偏った待遇様式を改変し、対等の国交関係を確立することだった。
(中略)
 白石の腹は決まっていた。要求は断固はねつけるべきだった。自分の国の慣習を盾に、すでに渡された国書を書き直せというのは、あまりにも自分本位の無礼な話ではないか。
(中略)
  ―――これは、つまるところ……。文化の争いだ、と白石は思っていた。彼らの要求をいれれば、彼の国の文化に屈することになる。そうなれば、ここまでの努力がすべて水泡に帰するのは明らかだと思われたのである。

 

 老中の笑顔に抗うように、白石ははげしく言い返した。国家の面目といったことには一顧もせず、単にその場しのぎの事なかれ主義で事を済まそうという老中に、強い怒りを感じていた。
「申し上げるならば、これでも少なからずあった争いのごときは、ほとんどが枝葉末節。今度の諱の一件こそ、わが国が譲ることのならぬ一大事と存じます。それがしもまた、はじめに申し上げたことは、死すとも改めますまい」

 

 過度のもてなし、あるいはあからさまな文化的崇拝の表明は、おのずから朝鮮側使節に奢りと文化的優越感をもたし、……白石はわれら対等、換言すれば釣り合いのとれた交際儀礼を確立すべき時期が来たと判断しているのだった。
…ここにきてわが国も文化的に成熟したという自負だった。白石は自分のまわりが多士済々、学問でも詩文の才でも、来日する朝鮮の文人たちと十分太刀打ちできる才能に囲まれているのを感じる。

当時、中華思想にどっぷり浸かっていた朝鮮人が、日本人のことを文化の劣った下等な民族だと見下していたのがよくわかる。その状況を打破しようと新井白石が重要視したのが「文化力」だった。日本の文化力が高いことを示して、これを以ってして朝鮮との外交に対等あるいは優位に立とうとした。しかもこれは朝鮮の向こう側にある清(中国)を強く意識したものだった。(「市塵」はこの朝鮮通信使と新井白石のやりとりがスリリングに描かれていて中盤の山場になっている。藤沢周平巧いなぁ)

宮崎道生著「人物叢書 新井白石」にはこうある。

この正徳元年においては白石はすでに五十六歳、詩人としては第一人者と認められ、学識においても比肩し得る者が少なかったことに加え、朝鮮国の日本観および外交姿勢にも、これまでの朝鮮使節らの日本文化人蔑視にも不満や不快感をも抱いていたから、それらを矯正した使節たちに徳川将軍の威厳と日本文化の優秀性を認識させようとの強固な意図が白石にはあったのである。

新井白石って「分かっている人」だった。
詳しくは過去記事
シリーズ 新井白石編3回目 対中国、対朝鮮、日本の取るべき外交姿勢は、新井白石に学べ。
シリーズ 新井白石編4回目 山本七平が絶賛する新井白石の対中国、対朝鮮外交
で。

戦時では武力が唯一の外交手段となるが、平時においては文化力が外交で大きな力を発揮することになる。文化を全面に出して日本を売り込むことは、かつて新井白石がしたことであり、これを麻生太郎が今の時代で行っているのだ。
文化力はその国の国力に比例する。
それでも、アニメ、マンガ、ラノベはサブカルじゃないか、そんなの文化じゃないという風潮もいまだに強い。
では、歌舞伎や浮世絵や俳句や川柳などはどうだろうか。これらは当時は高級な文化とは言われず、一般大衆が好んだ文化(サブカルチャー)であったが、いまや世界中の人々が認める日本文化となった。
詳しくは過去記事 アニメは日本文化を救えるか  第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。の「職人気質とサブカルチャー」を。
では『源氏物語』はどうだろうか、無名というべき女官が書いたものは現代風にいえば軽い読み物(ラノベ)だったじゃないのか。それが世界で最初に書かれた小説だという、これはいま、日本の誇るべき文化だといわれる。
夏目漱石の『坊ちゃん』はどうだろうか、あれなどは、各々のキャラの立った人物が騒動を巻き起こす学園ドタバタ物語じゃないのか、しかも主人公一人称の語りなんて「涼宮ハルヒシリーズ」のキョンと同じなのですよ。(むろん私の独断、異論は認める) それが、明治を代表する小説の一つとなった。
大衆文化も時代を経ると立派な文化になるのだ。
100年経てば、アニメもマンガもラノベも、平成の時代を彩った「日本文化」と認識されるはずなのです。
きっと……。
(そのころには「日本」という国がなくなって、「○○省」とか「○○自治区」かあるいは「××州」、「××連邦自治管区」となっているかもしれませんが、それでも「文化」は残るのです)

こういう文化、世界が認める日本の文化は、大事にしていきましょう。
これが日本を救うのです。
たぶん。
いや、きっと……。
そう信じています。
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消えた二十二巻

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