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塔の話 その2 「西洋の塔と東洋の塔」

物語を物語る

前回の「塔の話 その1 東京スカイツリーと東京タワー」の続きで、今回が「塔の話 その2 西洋の塔と東洋の塔」です。
そしてこれが、資料6となります。

梅原猛「塔」(集英社)から。
この本は、「塔」の考察が興味深い前半が大変面白い。しかし後半になると、いつもの梅原猛の論理(法隆寺は何だら、聖徳太子はどうたら)が展開されて急に面白くなくなる。
ということで、ここでは「塔」そのものにスポットを当てたいので、序盤をそのまま書き起こしていきます。

ポイントは3つ。
1、マグダ・レヴェツ・アレクサンダーの『塔の思想』による西洋の塔の精神的目的について。
2、その西洋の塔に対して日本の塔の精神的違い。
3、東洋の塔(特に日本の塔)には、「生と死」の2つの意味があるということ。

……たしかに塔は一つの建造物である。けれどもこの建築物は、他の建築物と一つの点において大いに異なっている。他のほとんどの建築物は、実用性という目的をもっている。家屋は人が住むための、倉庫は物をたくわえるための、浴室は体を洗うための建物である。多くの建物は、それぞれ自己の固有の実用的目的を所有している。もちろん多くの建築物はただ実用的目的のみをもっているのではない。その建築物はさまざまな装飾される。この装飾によって、家屋は豪壮な家屋となり、倉庫は瀟洒な倉庫となり、浴室は美しい浴室になる。しかしなおかつ、家屋は家屋であり、倉庫は倉庫であり、浴室は浴室であるかぎり、それらは、それぞれ固有の実用的目的性を、その核心にもっている。
けれども、塔の場合は事情が違うのである。それは、建築物として、実用的目的をもたない。たしかにヨーロッパにおける多くの塔は、あるいは鐘楼に、あるいは、展望台にすら利用された。しかし、このような実用的目的は塔の場合、二次的な意味をもつにすぎない。まず塔が作られ、たまたま、この塔が、鐘楼や燈台や、展望台に利用されたにすぎない。マグダ・レヴェツ・アレクサンダーは、その著『塔の思想』(池田望訳、河出書房新社)で次のようにいっている。
「塔のもつこれらすべての実用的機能は、たいていの場合、二次的な意味しかもっていないことはあきらかである。塔の発生、塔の芸術的性格・歴史的経過を、この実用的な機能とむすびつけたり、まして、そのような説明のしかたをすることは困難である。慰安の鐘や、時計や、燈火が塔に生命をあたえ、歴史的発展をうながしたのではなくて、まず塔があって、その後に音や、叫びや、光や、歌の機能があらわれたのである。
塔は有用なものであり、われわれにとって絶対不可欠のものだといってよいと思うが、実は単にそれだけにとどまるものではなくて、実用建築物以前のものであり、非現実的な、精神的目標をもつものである」
バベルの塔 2
(ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」)
アレキサンダーが、この塔に関する研究書で、もっぱら考察の対象としたのは、西洋における塔であった。しかし、このアレキサンダーが主張する塔の非実用的性格は、東洋や、日本の塔にもあてはまる。たとえば、ヒンズー教の巨大な塔の群れには明らかに実用的目的以外のものがある。インドの仏塔も、それとまったくちがった形をもつ中国や日本の仏塔と同じく、単に実用的建築物につきるものではない。もとより、仏塔は、その最初の形態において釈迦の墓の標(しるし)であった。しかし釈迦の墓の標としての塔が、真に塔の意味を獲得したのは、その塔が、釈迦の墓の標としての意味を超えることによって可能であったと私は思う。円形に土を盛った釈迦の墓、そこに暑いインドにおいて貴人の象徴である傘が、何重にもかぶせられる。この傘の部分が、墓の標となるが、この傘の部分が、漸次高くなり、ついにここに塔が成立する。そして、こうして墓が、一つの塔になるとき、もはや、塔は、単なる墓の標としての実用的目的以上のものとなるのである。
(中略)
ケルンの大聖堂
ケルンの大聖堂
薬師寺
薬師寺(同じ宗教的意味を持つ塔でも西洋と東洋ではかなり違う)



なぜ塔をたてるか
もし塔が、このように実用的目的性をもたないとしたら、いったい、それはなんのためにつくられたのか、なぜ、人間は塔をたてるのか。なぜ古今東西において、これほど多くの塔が、たてられたのか。もしそれが、まったく実用的目的をもたないとしたら、なぜ、人間はこのような無駄な建築物をたてることに、はかり知れぬばく大なエネルギーをそそいだのか。じっさい塔の建築は容易ではない。空中高く、孤独に突出する建築物は、建築学的にも高度の技術を必要とすると同時に、多くの費用を必要とする。この高度の技術と多くの費用を、人間はなにゆえまったく無意味な建築物と思われる塔に消費したのであろうか。
バベルの塔
(ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」 )

アレキサンダーは、塔を建造する人間の意志を、一種の高所衝動として理解しようとしている。人間は、自己を表現しようとするはげしい意志をもっている。自己の存在を誇示し、自己の存在を空中高く飛躍せしめんとする意志を、人間はその内面深く宿している。そして彼女は、このような説にもとづいて、ヨーロッパのさまざまな塔を説明する。アレキサンダーにとって、ヨーロッパの塔は、いつも、限りなく己を超えようとする高所への意志を表している。それゆえ、この塔は、一つの無限への進行である。ヨーロッパの教会における塔は、長い年月をかけてつくられた。それは長年にわたって、高く、ますます高く建てられ、それが完成された時においても、なおかつその頂上は、より以上の高さへの可能性をうちに秘めている。その完成は一時の終了にすぎず、機会さえあればより高く天にのぼらんとする意志を含んでいるのである。塔が塔であるかぎり、それは、いつも未完であるというのが、アレキサンダーの結論である。
アレキサンダーのこの塔の理解の背後には、ショーペンハウエルや、ニーチェの意志の哲学あろう。塔は人間の生への意志、権力への意志の表現なのである。そしてその生への意志、権力への意志は、いつも無限の方向をもち、それゆえいつも未完に終わるのである。ニーチェがいうように、権力への意志はいつも己れ自らにいう。もっと多くの権力を、と。権力は権力を求めて止まず、塔は高さを求めて、止まることを知らないのである。悲劇的にすら見える、この権力への意志、そこにヨーロッパの塔の本質がある。
サクラダファミリア
(なかなか完成しない「サクラダファミリア大聖堂」)
われわれは、このショーペンハウエルやニーチェの哲学を理論的背景にもつ、アレキサンダーの塔に関する見解に、ひとまず賛成の意を表したい。塔は生への意志の表現として、人間の形而上学的衝動の結果としてつくらているのである。人間は、まったく非実用的とも思われるこの高い孤独な建造物を作った。この非現実的建築物を建設する人間の意志の中に、人間が人間であることを示すなんらの秘密がある。
私はこのエッセイで、順次、日本の塔について究明したい。そこに現れるているのは、いかなる生の意志であるか、その一見無駄な非実用的建築物のなかに、われわれの祖先の、いかなる生への意志が、いかに表現されているのか。
われわれは順次このような視点で、塔を考察するであろうが、われわれがアレキサンダーのように、もっぱら西洋の塔を中心としてではなく、東洋の塔を、特に仏教の塔を考察の対象として加えるとき、われわれは彼女の理論に、若干の修正を加えることを余儀なくされるであろう。


西方の塔と東方の塔
仏教の塔は、すでに述べたように、必ずしも、生への意志によって建てられたわけではない。それは、まず第一に、釈迦の墳墓の標として建てられたのである。ここに偉大なるブッダが眠っている、この偉大なる偉人を崇めよ、というのが墳墓の標としての仏教の塔の最初の意味であった。しかし、この意味は、後に、釈迦の死を示す標から、仏教の偉大さを示すしるしに変わってしまう。むしろ、塔が塔としての意味をもつのは、死のしるしとしての塔から偉大なる教えのしるしとしての塔へと、塔の性格が変わることによってはじまるのかもしれない。
しかも、このような塔建造の意志は、アショカ大王のインド統一の意志と結びつく。アショカ大王の征服意志の偉大さを示すのである。それゆえ、仏教の塔は、ここで、一方には死せる釈迦への崇拝の意味をもつとともに、一方にはアショカ大王の権力表示の意味を持つ。
八坂の塔と京都タワー (京都・法観寺の八坂の塔と京都タワー) 
このように、仏教の塔は、すでにアショカ大王によって建てられた塔において複雑な性格をもつが、それは、その出発点においてもつ、西洋の塔とは異なる性格を、終始保持しているように思われる。それは、やはり、その塔そのものが、その最初の姿において墳墓の性格をもったという特徴に深く支配されている。
中国においても、日本においても、最初に建てられた仏塔は、多く舎利塔の性格をもった塔であった。舎利塔とは、釈迦の骨を収めている塔であり、塔の土台の下には舎利が収められている。つまり、インドから中国をへて日本へと塔が伝わり、その形がまったく変化してしまった後においても、この舎利塔としての性格は、中国や日本の仏塔にも強く残されたのである。
もし、仏塔が、釈迦の墓の標としての意味に支配されているとすれば、アレキサンダーの分析が示すように、西洋の塔の中心が、いつも未完のままに終わる塔の尖端にあったとしても、日本の仏塔の中心を、その尖端に求めるわけにはゆかないであろう。
この高くそびえる建物そのものが、一つの死を示しているのである。この高くそびえる建物そのものは、ヨーロッパの塔のように、永遠に高く昇る一つの意志を表すのではなく、一人の偉大なる人間の死の栄光を示すものである。ヨーロッパの塔が、限りなく上昇する生への意志を示すものであるとすれば、仏教の塔は、生と死のたえざる争いの上に生まれるといってよいかもしれない。まさにここで生は死の上にそびえ、そして死の上に高くそびえることにより、死を超克せんとしながらも、なおかつ、生は、偉大なる沈黙の死の支配を脱することができない。

それゆえ、われわれが仏塔を考察の対象に加えるとき、塔をただアレキサンダーの理論によって考察するわけにはゆかなくなるであろう。塔をたてる人間そのものは、生の衝動とともに、死の衝動をもっているである。晩年のフロイドは、エロス、生の衝動とともにタナトス、死の衝動を人間の二つの大きな衝動とした。生の衝動のみで人間の行動を説明することはできない。思想史的に見ると、十九世紀のショーペンハウエルや、ニーチェの生の哲学は、意志の側面、生の側面から人間を見たが、二十世紀のハイデッガーやヤスペルスの実存哲学は、人間を実存の側面、死の側面から見ようとする。われわれがは塔の考察においても、単なる生の側面ではなく死の側面の考察を必要としないか。塔は、まさに生と死の、天と地の相克の表現ではないのか。アレキサンダーの塔の分析には、生の視点のみがあり、死の視点が欠如していたのではないか。形而上学的なものとは、無限なる生への意志とともに深遠なる死への省察を含むものであろうが、アレキサンダーの形而上学には、生への意志はあっても、死への省察は欠けていたのではないのか。
東京スカイツリーと浅草寺・五重塔東京スカイツリーと浅草寺・五重塔

生と死の争うところ
私は思う。塔には生への意志とともに、死への省察が含まれている。限りなく上昇しようとする強い生への意志と、それにもかかわらず、人間を根本的に支配する死の意識が、すべての塔の中で、はげしく戦っているのである。この生と死の戦いは、人間存在を構成する基本的なものなのである。
われわれは、塔の中に生と死の争いを見る。そこで生が死にいかに勝ち、あるいは死がいかに生を制し、あるいは生がいかに死と親しんでいるかという、人間存在の根源にかかわる知恵がしめされているのをわれわれは見る。
仏教徒が釈迦の墓の標である塔を聖なるものとして尊敬したのは、決して釈迦の説教そのものと無関係ではない。釈迦の思想の中心に死の思想があった。釈迦は人間を、苦悩の相において見た。生老病死、それが、釈迦の見た人間の四つの苦の相であった。しかしこの四つの苦の中で、釈迦がもっとも人間にとって根本的な苦であると考えたのは死の苦である。己れの存在が無に帰してゆく苦しみ、その苦しみにまして深い苦しみが人間にあるのか。釈迦はこの苦の原因を愛執に見た。
愛執を殺せ。生にたいする愛執から死の苦悩は起こる。生への愛執をたち切れ。釈迦は、すべての愛執をたち切って、泉のような静かで浄いさとりに生きることを理想とした。そして彼は、約五十年の間、このような理想を説いて歩いたが、ついにその理想を彼自身が自己の身をもって体得していることをはっきり示す日がきたのである。彼の死の日である。死の日、彼はあくまでも静かであった。彼は泣き悲しむ弟子どもに人生無常の理を説いて、静かに死についた。彼は、死の前のソクラテスのように魂の不死の証明をしたり、イエス・キリストのように死後の復活を予言しようとしなかった。彼にとっては魂の不死も死後の復活も、一つの幻想にすぎなかった。永遠の生の幻想によって死からのがれるわけにはゆかない。人は自然から生まれたようにまた自然に帰れ、釈迦は自然に帰るように静かに安らかに死の懐ろに帰ってゆく。
後年、仏教徒が、釈迦の像を、好んで涅槃図の形で描くのは、けっして偶然ではない。そこに釈迦の教えそのものの具象化があるのである。釈迦をとりまく多くの人間たちや、動物たちまでも、釈迦の死を悲しんでいる。しかるに死に行く釈迦自身の唇には、微笑すら浮かんでいる。その微笑の中に仏教の理想がある。
釈迦涅槃図
(紙本著色釈迦涅槃図 長野県松本市・西善寺)
この釈迦像における涅槃像の優位は、仏像建築における塔の優位性と無関係ではない。塔は釈迦の死の記念塔なのである。釈迦は己の理想に従って安らかで静かな死んだ。その釈迦を記念して、ここに塔が建てられるのである。塔は二重の意味において死の思想を含んでいる。それは死せる釈迦への追想であるとともに、同時にこの塔は、死を人間考察の中心においた仏教思想の表示でもある。
われわれは大乗仏教が、あまりに死の思想に執着した小乗仏教にたいして、生復興の思想運動であったことを知っている。ここで、伝統仏教が、二重の点で、死の思想に執着していることが批判される。伝統仏教、小乗仏教が、あまりにも死んだ釈迦に執着しすぎることによって、その生き生きとした生命力を失ってしまった。大乗仏教は人びとに死せる釈迦からの解放を教えた。そっして死せる釈迦からの解放は、また同時に、釈迦の死の思想からの解放ともなった。死を凝視するあまり、あまりに自由を失った小乗仏教にたいして、大乗仏教は永遠なる生を自覚した自由な生き方をといた。しかしこういう大乗仏教の方向にもかかわらず、仏教は深く死の思想を、その思想の根底に保持している。仏教の塔は、その性格がさまざまに変わるが、それはその端緒にもっていた死の思想を容易に脱することができないのである。
われわれは仏教の塔をキリスト教の塔のように、一つの未完のものと考えることができない。未完のものはインド人や中国人にとってと同様に、われわれ日本人にとっては、けっして美的なものではないのである。限りなく天にのびていく意志、このような意志の直接のあらわれは、われわれ日本人にとってけっして美的なものでも宗教的ものでもない。このような意志を、大地との調和において、安定を保たせる必要がある。


西洋の塔と東洋の塔(特に日本)の違いがよく分かりますね。

さて、次回はこの違いはどこから来るのかです。
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