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物語を物語る

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井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」などから。

物語を物語る

さてさて、どんどん資料を追加していきますよ。
今回は9回目。

前回の「怨念の日本文化 幽霊編」と同じような内容。
テーマは「鎮魂」です。
使用する本は井沢元彦の本。
必要となる文章、「これ」と思った文章を、ランダムに抜き出していきます。
まず、井沢元彦 「井沢式日本史入門講座・4 怨念鎮魂の日本史」(徳間書店)から。
井沢式日本史入門講座・4


世界に先駆けて、『源氏物語』という近代小説が日本に生まれたのは、日本が怨霊信仰の国だったからに他ならない。
物語というフィクションの世界の中で、現実には敗れた人々を活躍させる。それは、現実世界の競争に敗れ、恨みを持った魂を鎮めるためのひとつの手法だった。
こうした、現実とフィクションを切り離して使い分ける「顕幽分離主義」ともいうべき手法は、日本では鎮魂法のひとつとして古くから用いられていたものだった。物語の中なら、どうせ虚構なのだから、勝たせてやってもいいじゃないか、と考えた。つまり虚構と真実を使い分けたのです。これを「顕幽分離主義」とした。この世以外を幽界、それに対して、この世のことを顕といい、両者を分離する考え方……。
(中略)
『源氏物語』の謎を解くカギは、作者である紫式部が、「源氏」を追い落とした藤原氏出身の皇后に仕える女官だったこと、そして藤原氏のトップ道長が紫式部の執筆を応援していることにある。
勝者である藤原氏サイドの人間が、なぜ明らかに藤原氏とわかる右大臣家が源氏に敗れる物語を書いたのか、そして藤原一族のトップがなぜそれを応援したのか。
こうした常識的に考えたらあり得ないことの陰には、必ず特殊な目的が隠れている。歴史を学ぶものは、そのことに気づかなければならない。
この場合の特殊な目的は、「源氏の鎮魂」である。だからこそ、「源氏」物語であり、源氏だけが実名で描かれていたのだ。
怨霊鎮魂の書『源氏物語』は、忽然の生まれたわけではない。それ以前から存在する『竹取物語』『伊勢物語』という鎮魂文学の流れの延長線上に完成されたものである。『竹取物語』では、藤原氏中興の祖・藤原不比等をモデルとした車持皇子を悪人として描くことで、藤原氏に恨みを抱く者の留飲を下げ、『伊勢物語』では、藤原氏の専横を崩そうとした反逆ヒーロー在原業平をモデルとした主人公を活躍させることで、その霊を慰めた。
『源氏物語』は、こうした流れの中で書かれた文学作品なのである。

面白いですね。歴史的勝者が虚構(物語)の中で敗者を勝たせる(褒める、讃える)ことによって、敗者の魂を鎮めていく。これは日本人特有の考え方といってよいでしょう。

「怨霊と鎮魂の日本芸能史」(檜書店)にも同じような内容のことが書かれているので引いてみる。
怨霊と鎮魂の日本芸能史



神への賛歌・芸能
芸能とは本来、神を讃え慰めるものであった。
これは古今東西どこも同じで、その原初の形を一番色濃く残しているのが、神楽である。
神楽は、演者が神に扮し、悪役つまり悪鬼に扮する演者を叩きのめす。そして、「神よ、あなたは強かった!」(本来こんな敬語はおかしいが)と、神の賛歌で終わる。
芸能者は、神に喜んでもらうために、演技や振り付けを一生懸命に工夫したのである。

怨霊信仰の国・日本
怨霊信仰は、日本国の当初からみられる。古くは『日本書記』にも、その例が見られるが、それが一段とポピュラーなものになったのは、平安時代初期からだ。
平安京を桓武天皇が、弟の早良皇太子の怨霊におびえたのは有名な話である。そして、もう一人有名な怨霊をあげるとすれば、やはり平安中期の政治家、菅原道真だろう。
道真は、宇多天皇の藤原氏抑制策の一環として、学者の身でありながら右大臣に抜擢された人物である。だが、それも束の間、藤原時平の陰謀によって九州太宰府へ流され憤死してしまう。すると、それからほどなく、宮中に落雷するなど、様々な不幸が起こったので、人々はこれを「天神」として祭り上げたのである。
恐ろしい怨霊も、丁寧に祭り上げれば、逆に人々を守ってくれる善神となる。善神になった状態のことを「御霊(ごりょう)」という。怨霊信仰を別名「御霊信仰」というのはこのためである。
怨霊を「祭り上げ」て善神に転化することを、「鎮魂」という。
この国は本来平和なはずである。なぜなら神の子孫である天皇が、この国と人々の平安を常に祈っているからである。だが、それでも地震、疫病、不作といった災厄は起こる。それは、怨霊がいるからだ、というのが昔の人の考えであった。
天災だけでなく、戦争や兵乱といった本来は人災に属することまで、昔の人々は怨霊の仕業と考えていた。
そのため、逆にいえば、怨霊を鎮魂することこそ、最大の「政治課題」でもあるということになる。政治とは普通、予算を組み機構を整え人員を配置し、様々な国家としての仕事を行うことをいう。しかし、戦争も怨念が陰で操っているなら軍隊をもって有事に備えるよりも、常時霊を慰めることこそ最も重要なことになるのである。
平安貴族は、この「理念」で政治をしていた。現代の学者は「彼らは何も政治をしなかった」と評価する。確かに現代の目でみればそうだが、彼らは政治をしている、つもりなのである。そして、その最も重要な仕事は歌を詠むことであった。言霊の力で霊を慰めるのだ。
だからこそ『古今和歌集』をはじめ、歴代の天皇はあれほど熱心に和歌を編んだのだ。あれは「芸術」というよりは「政治」なのである。

人はなぜ怨霊になるのか?
それは、この世に強い執念を残して死ぬからである。政治上の敗者となった、というのもあれば、思いを遂げることができなかった、というのもある。
それをできるだけ崇め、ご機嫌をとること、これを鎮魂といい、成功すれば霊は恐ろしい「怨霊」から人々を助ける「御霊」となる。
怨霊は天災(飢饉・疫病等)だけでなく人災(戦争・内乱等)をも呼び起こすものだが、御霊になると逆にそれを防ぐ方に回ってくれる。このプラスマイナスは限りなく大きい。

仏教伝来以後、日本人はそれまで「鎮魂」と呼んでいたことを「供養」と呼ぶようになった。仏教の「現世に執着する人間は成仏できない」という考え方は、「怨霊を御霊に変えねばならない」という仏教伝来以前からの日本人の強い信念(信仰)にピタリと一致した。
人はなぜ怨霊になるかといえば、政争にせよ恋いにせよ、ひとつのことに執着するからである。仏教は「それはいけないことだ」と教えている。だから、結果的に日本人の好みにあい、大きく受け入れられたのだ。これは後に神仏習合という形に発展していく。これはつまるところ、神と仏はもともと一つであるという考え方だ。今では、寺院と神社はったく違う宗教法人だが、中世以降はこれ一つで、僧侶と神官は同じ宗教法人の「同僚」であった。これが分離されたのは、明治の神仏分離令以降のことである。
怨霊信仰と仏教とは、実は似て非なるものである。
なぜなら仏教の大前提には「人は輪廻転生する」というものがあるが、日本は「霊魂不滅である」と考えるからだ。
たとえば、ヤマトタケルの神霊は今でもどこかにいる、と考えるから、われわれはそれを祭るのである。もし、どこかの人間に転生しているとなれば、「ヤマトタケルはいない」ことになってしまうので、祭る必要はなくなってしまう。これは「天神=菅原道真」でも、平家一門でも同じことだ。
霊魂は不滅だと考えるからこそ、怨霊は大問題であり、その鎮魂(供養)は政治上の最優先課題になるのだ。平家は、一度はこの国の「王座」にあった。それがあっという間に没落し、一門の大半が無念の死を遂げた。放っておけば、あらゆる災厄の根源になることは確実だからだ。
(中略)
……怨霊は慰められなけばならない。お経を読み「供養」を欠かさないということも大切なことだが、それ以外にも日本では重要な方法がある。
それは「芸術」で怨霊を鎮魂し、人のためになる善神すなわち御霊に転換させることだ。
「芸術」といったのは、それが必ずしも芸能つまり歌舞音曲に限らないからだ。
たとえば、慰霊されるべき怨霊を絵巻物に描くという方法もある。「あなたはこんな立派な人でした。あなたはこんな素晴らしいことをなさいました」と、絵画の上で、「顕彰」するのである。たとえば菅原道真が「天神」になった経緯を描いた「北野天神縁起絵巻」などはこれにあたる。
では「絵」のかわりに「文字」を使えばどうなるか?
それは『万葉集』のような「歌集」になり、『源氏物語』のような「物語」になる。

せめて物語つまり虚構の上では勝たせてやったのだ。そうすることによって、少しでも怨念を鎮めようという意識が働いているのである。

怨霊信仰では「死後の名誉」を与える。これは儒教圏(中国・朝鮮)のように、虚構を「悪」とみる伝統は、われわれ日本人の中にはないからだ。

言霊というは、言葉には物事を成就させる霊力があると信じることだ。だからこそ、おめでたいこと、祝辞、祝詞は何べん唱えてもいいが、縁起の悪いことは口にしてはならない。柿本人麻呂が「敷島の大和の国は言挙げせぬ国」と歌に詠んでいる「言挙げ」とは、言霊の力を最大限に発揮するため、大きな声で言葉を使うことである。これ自体は、必ずしも悪い意味ではない。「言挙げ」は「無色」の行為である。問題は、使われる「言葉」の内容だ。現に人麻呂は「さきくませ(幸あれ)」と言挙げしている。
大切なのは、どんな言葉を使うかである。
そのため日本では、不吉なこと、縁起の悪いことは、口にするのもはばかれる。一面の葦の原を、葦は「悪シ」に通じるというので「吉原」と呼んだり、「梨」は「無シ」に通じるので「有の実」と言い替えるのもそのためだ。

平安時代に書かれた『源氏物語』や『伊勢物語』には主人公の名が明記されていない。『源氏物語』の主人公は「光源氏」という一種の架空の名前を使うことで、個人を名指ししてはいないが、源氏の一員であることはわかるようになっている。
だから、源氏の鎮魂の役を果たしているといえるのである。
これはおおきな大きなジレンマであるのだが、鎮魂するためには、名前をいわなければならないが、完全に名前をいってしまうと、その怨霊を呼び出すことにもなってしまうので、非常に恐ろしいということである。

世阿弥が確立させた「夢幻能」における鎮魂

怨霊信仰とは、そもそも怨霊に対し畏怖の心を持ち、それを崇めるというものだ。そうして崇められ、奉られた怨霊は御霊(善神)に転化し、人々を守ってくれるというのが、御霊信仰である。
能の登場「人物」は、ほとんどが怨霊である。韓国においては怨みを持つ「霊」などは悪霊に過ぎないと考えるので、一刻も早く消してしまうのが正しい処置だが、日本ではそれは崇めるべきものであり、しかもそれを舞台で演じることは「鎮魂」にもなるので、仮に面に霊が取り憑いていたにしても、それはむしろ丁重に取り扱うべきもの、奉るべきものとなる。
つまり、仮面は御神体であり依代なのだ。当然、燃やすなどとんでもないことになる。
もっとも、完全に霊に憑依されてはたまらないので、面をはずした段階で、御霊との一体関係は途切れる。逆にいえば鏡の間で面を掛けるのが、この御霊との一体化の儀式になっているのであろう。
日本という、御霊信仰の国において、なかなか突破できなかった壁、すなわち「悲劇の主人公は怨霊であるから、これを演ずることは、憑依される危険がある。これをどう乗り越えるか」という難問を、世阿弥は「面」を徹底的に扱う、ということで解決したのだろう。面という道具を用いることで、演者と怨霊の人格を分離させるシステムは完成した。
中略
怨霊を舞台の上に呼ぶ以上、必ず鎮魂して、気分よくお帰りいただかなければ、社会や観客に災いが降りかかりかねない。
そこで世阿弥が考え出したのが「夢幻能」であった。
夢幻能というのは、怨霊が主人公の能だ。まず旅の法師が登場し、そこに怨霊の化身が現れる。怨霊の化身は過去の事績を語る。そして、後場になると、その怨霊自身が現れ、自らの恨みや成仏できない苦しみなどを語るのである。
そして、その苦しみを聞いた法師によって鎮魂される、という構成になっている。
この「夢幻能」によって、世阿弥は、怨霊を呼び出すが、きちんと鎮魂して帰すので、呼び出しても大丈夫だというロジックを完成させたのである。
観客にも鎮魂する場をみせることによって「大丈夫ですよ。怨霊を呼び出しましたが、ほら、ちゃんと鎮魂して帰したでしょ」という安心感を与えたのである。
世阿弥の「夢幻能」と「面」によって、怨霊を舞台化するというタブーは乗り越えられた。能でこの壁を乗り越えられたからこそ、次に歌舞伎という、「面」を用いない舞台が生まれることができたのである。

儒教国には理解できない日本の鎮魂思想
……日本と韓国というと、昨今の靖国問題が想起されるが、実はこの問題にも怨霊信仰が関わっている。
靖国に対する韓国(中国)側の主張はこうだ。
「靖国神社にA級戦犯の霊が合祀されている。A級戦犯とは我らの国を侵略した戦争犯罪人である。その霊に礼拝するとは、戦前の侵略行為を反省していないということだ。少なくともA級戦犯の霊は分祀すべし、この点は譲れない…」
おわかりだろうか、実は彼らは「面を焼け」
と主張しているのだ。彼らには悪人(悪霊)は悪人(悪霊)だということだ。だから当然、そんなものは「抹殺すべし」ということになる。
だが、日本はこれとはまったく違った考え方をする。
たとえば、天神であるが、これはいうまでもなく菅原道真である。
道真が天神として崇め奉られる存在となったのは、彼が死後、生前の無実の罪に怒り、タタリを為したと考えられたからだ。
つまり、道真とは、表面的にいうならば、天皇に害を与えた「悪霊」だということになる。では、その神前に頭を下げることは天皇家に対する侮辱行為なのか、天皇家に仇を為すことを、日本人は祈っているのか?
もちろん、そうではない。道真の霊には、時の帝である醍醐天皇も礼を尽くしている。きちんと鎮魂し奉ればそれは善なる神となり、われわれを守ってくれるからだ。だからこそ、天神は学問の神様なのである。
儒教的(つまり中国・韓国的)考え方では、これがまったく理解できない。
理由はどうあれ、天皇に仇を為すとは、まさに「不忠の臣」であり、それだけで最大級の悪人となる。しかも、一度そういうレッテルを貼られると、はがす方法はない。
たとえば、『三国志』の曹操は漢帝室を滅ぼした「不忠の臣」なので悪人である。彼はいつまでたっても「悪人」であり、名誉は永遠に回復されない。もし名誉回復の可能性があるとすれば、それは毛沢東のようなカリスマ的指導者が、歴史の再評価を行ったときだけである。
東アジアとの摩擦、特に日韓問題は、日本人と韓国人は顔かたちはそっくりなのに、考え方がまるで違うことに起因する。顔が同じだがら、考え方も同じだと、日韓双方が思い込んでいるのが間違いのもとなのだ。
韓国は小泉元総理の日本人の伝統的な考え方が理解できず(むしろA級戦犯を祀らなかったら、かえってタタリがあるという考え方すらある)、自分の考え方に則して「悪」だと思い込むから、そういう「悪」を行う総理に「自決せよ」などとせまることになるのだ。
だが嘆かわしいのは、日本の伝統もろくろく知らないくせに、こうした韓国人の無知と激情に迎合することが「正義」だと思い込んでいるエセ文化人が日本人の中にいることだ。まずは正しく自分たちの文化を把握することが必要だ。その上で、主張すべきは主張すればいい。韓国も今「犬を食うのは野蛮だ」とイギリスなどに非難されている。異なる文化の中で、独自の習慣は尊重しようといえば、わからないはずはないと思うのだが……。

物語の中なら、どうせ虚構なのだから、勝たせてやってもいいじゃないか、と考えた。つまり虚構と真実を使い分けたのです。これを「顕幽分離主義」とした。この世以外を幽界、それに対して、この世のことを顕といい、両者を分離する考え方……。

すべての宗教を飲み込む怨霊信仰
日本に入ってきた宗教は、みな「日本風」に変質してしまうとよく言われる。
仏教も、日本に入ってその教義を大きく変質させた。
例えば、「供養」とは、本来の仏教では灯明や花などの供物を捧げることを意味するが、日本では、それ以外にも亡くなった人の果たせなかった思いを代わって果たしてあげることを意味する。こうした変質が起こるのには、日本人の中にある怨霊信仰が深くかかわっている。
日本人の信仰心、その最も大きな部分を占めているのは、実は怨霊信仰である。だからこそ、仏教であろうがキリスト教であろうが、、どんな宗教もみな、日本に入ってくると、「怨霊鎮魂のためにどう役立つか」という価値判断がなされ、怨霊信仰に即したかたちに変質させられてしまうのである。

「言霊」「怨霊信仰」を説く作家や学者はいくらでもいるが、井沢元彦ほど噛み砕いて説明してくれる人は他にいない。実に分かり易い。
「日本教」や「日本独特の<空気>」を説いた山本七平の後継者だと、密かに思っているが、どうだろうか。

この資料編はまだまだ続きますよ。外堀から埋めていきます。



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