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物語を物語る

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「私本太平記」の新田義貞のカッコいい場面を書き起こしてみた。

物語を物語る

お葬式に行くと、お坊さんがよくこんなことを言います。
「今日は故人のことを思い出してよく語って上げてください。それが亡くなった方への供養になります」
こういう考え方は日本独特の鎮魂、慰霊方法だろう。
これは、過去記事でまとめてあるので詳しくはそちらへ。
「怨念の日本文化 幽霊編」から。
井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」などから。

今日、7月2日は新田義貞の命日。
ということで、本日は義貞公のことを語りましょう。
で、今回は吉川英治「私本太平記」から新田義貞がカッコよく描かれている場面を抜き出してみました。
吉川版「太平記」

まず新田義貞の初登場場面は1巻・p135から

「彼はまだ二十四、五.はちきれそうな肉体である。それに遠祖八幡太郎の若き日も、かくやと思われる眉目だった。ただその彼に美男の自意識がチラつくのは、すこし疵だが、それも家臣一統からすれば、新田小太郎義貞の威とも光彩とも仰がれる一種の魅力であったろう。」


以下第一巻の中から

「そんな口騒めきの中、ひとり黙然とこなたを見すます陣座羽織に腹巻すがたの派手やかな人が、当の新田義貞らしかった。」
(セリフは尊氏家臣に向かって)「高氏どのは、まだ彼方の川を越えておらぬぞ。……義貞は他に急ぎもあるゆえ、出水の大河を、無理と知りつつ越えて来たが、人馬ともに、えらい難儀な目に会うた。くれぐれ、心して渡れよと、告げるがよい。」
(尊氏のセリフ)「新田は勇ましい男だ。よくぞ、今日の多摩川を越えたものと、感心する。高氏には、そんな勇気は出ぬわ。わしには、川が恐くて渡れぬのじゃ」

義貞の態度を、みな、好感して見たような風であった。事実、高氏と彼とをこう並べてみれば、容姿といい、弁舌といい、高氏のどこか横着げな田舎臭さとは、比較にならぬほど、義貞の方は、水際立って見えた。

第1巻において、新田義貞、または新田家の登場シーンは多い。会話の中でも「新田家と足利家」の関係をすでに語らせてはいるが、第2巻以降はあまり登場していない。
第3巻では 佐々木道誉の言で、新田の名が出てくる程度、第4巻では会話の中で「新田小太郎義貞」の名が出てくるだけだ。
物語が進まず、全八巻中、第五巻でやっと「鎌倉攻め」となる。
(進みが遅く、前半がゆっくりなのは、最初の構想として、「新・平家物語」全16巻のような超長編にしようとしたのではなかったのか。後半駆け足になったのは吉川英治の病状があまりよくなかったからだと言われる。司馬遼太郎が「太平記を書くと命を取られる」と言ったのはこういった経緯もある。)

さて、新田義貞が本格的に登場するのは、第五巻から。

本格的に入る前に、余談として、「世良田のみなみへ半里、利根川べりに行きあたる。
そこの川岸の里は地名を徳川といい、新田家の一支族、徳川の教氏の住地だった。―この世良田徳川の子孫が、遠いのちに、江戸幕府の徳川将軍家となったのである。だから代々の徳川家は、祖先新田氏をおろそかにしなかった。」と一文入れている。

「……ひどく義貞のかんを突いたらしい。でなくてさえ、義貞にはよくカッと色をなす性情がある。つと、義貞の顔が横を向く。その面の冴えなど、美しい太刀の沸えのようだった。」と表現し、北条幕府の役人・明石出雲介を一太刀する。ここには「おそろしく迅かったのでその太刀は出雲介の首の根を狙って右肩からあばらへ斜に通ったか否かも目にもとまらないほどだった。」とある。

(剣豪のように義貞を描いている。宮本武蔵に対する佐々木小次郎ようなものをイメージしているのではないだろうか。)

「道はいい。東山道の街道である。一陣の疾風は駈けた。義貞は先頭だった。そしていまの伊勢崎から利根の上流を望んだころも、まだ夜は明けず赤城山も見えそめていなかったろう。いかに義貞が、時を惜しんでいたかがわかる。このさいの彼は、桶狭間の織田信長に似ている。いや信長は後代の人だから、故智を学んだものではない。義貞の天分だった。」
「霊山の上で、危険にさらされている敵中に孤児を見ごろしにはならない。このさ、救うにためらいを示していたら、義貞の威信はなくなるだろう。坂東武者というやつは、元来がそういうところで自己を託している人間の軽重を、内々、測っているやつだ」
「義貞のもたらしたほどの財宝はかつてなかった。―それに千種忠顕個人へのみやげとしても、これまでうけた誰のどんな贈り物よりそれはすばらしかった。「新田は、律儀な男とみえる」忠顕は、すっかり惚れこんだふうだった。――高氏にくらべて、その家柄も劣らず、人品もずっと立派だし――などと彼は義貞を高く値ぶみしていた。
尊氏から見た義貞「また露骨な武士大衆の輿望が、ここ急潮に自分へかたむいて来る形勢なども、彼としてはむりろ危険視していた。なぜならそれはいよいよ、大塔ノ宮一派の嫉視と、宮の宮中における画策の矛を、駆り尖らせるものと覚っていたからで、わけて新田義貞の一面小心な競争心の潜在も彼は見のがしていず、あくまでも低姿勢を守ろうとしていたのである。」

義貞は織田信長に似ている、確かにそう思う。
第6巻「義貞・駁す」の章から

「義貞は読んでゆくなかばのうちに、もうありありと感情に燃やされた色で耳のあたりまで紅くしていた」
「―わけて今日はその人物にたのみをかけて、この人に栄光あれ、と祈りをこめた衆目だった。
義貞はこれを感じる。武門最上な本懐を感じる。彼はすでにかつての旗上げの日、郷土の産土神に願文をささげて、  ―古ヨリ源平両家、朝ニ仕ヘテ、平氏世ヲ乱ストキハ、源氏コレヲ鎮メ、源氏世ヲ浸ス日ハ、平家コレヲ治ム
と、告白していた。彼にもこの下心はあったのだ。いまや平氏の北条はない。足利が取って代ろうとしている。しかし自分も源氏の嫡流だ。有資格者である。八逆の賊尊氏を逐って、自分が覇武の権を取って代るに、世上の誰もふしぎとはしまい。
しかも優渥(ゆうあく)なるみことのりと大将軍の印綬を賜ってそれに向かうのだ。義貞はすでに尊氏を呑んでいた。やがて下された祝酒の一ト口にさえ、それは色になって彼のおもてをほの紅くした。」
「脇屋義助。兄の義貞にまさるこの勇将は、どこかで地たんだ踏んだことだろう」

義貞のせつなの眉を、このとき、誰も正視にたえなかった。「よしっ、忘れまいぞ。いつかは尊氏にこの逆の目を見せずにおこうや。が、ぜひもない。今は無念をのんで退いておこう」


…ほどなく遠州に入りその天竜川を前に眺めわたすと、濁流満々ながら対岸にいたるまで堅固な舟橋がえんえんとなお無事に架かっていたので、
「これはどうだ!」と、軍勢はどよめいた。
「新田勢のあわてぶりよ。逃げるに急であとの舟橋を断り落して行く大事な退軍の常法すらも忘れている―」と。
が、尊氏は、「はて、うかと渡るな」と全軍を待たせた。
そして付近の川小屋から土地の者数名を狩り出し、何で舟橋が無事であったかを直々に質した。
すると、彼らは。これはつい四、五日前のこと。新田勢がさんざんな敗け軍(まけいくさ)のていでこの地へかかり、俄に村々へ合力を命じ、そのせつ架けおかれたもの、と前提して。「まる二日二た晩は、馬やら兵が西へ西へ越え行かれましたが、てまえどもはこれへ呼びつけられ、やい聞け、われらの勢が渡りきったら、すぐさま舟橋を断り放ち、一そうの舟も附近に置いてはならんぞとの、ご厳命でございまする」
「む、新田がの」
「いえ仰ったのは、ご幕下のお方で……。すると、おん大将の新田殿じゃ、それを聞いて橋の途中からお戻りになり、たいそうご機嫌のお悪い声で、お侍たちを叱ッておいでられました」
「叱ッた?」
「はい。おことばには、敗軍のわれらさえ架けえた橋を、断り落したとて何になろう。およそ、大軍に向う戦の始めなら、舟橋など焼いて、背水の陣を布くという兵略もあるが、敗戦して落ちてゆく今、敵にもやすやす架け得られるものを壊して行っても益はない。むしろ義貞の小心を見すかれよう。狼狽したといわれても末代までの恥だ。そっくり残しておけ、との御意。わたくしども、しかとお命じで、そのままお立ち去られたような次第にございまする」
「そうか。……川守どもに褒美をやれ」
そして、尊氏はそれから言った。感に打たれている麾下の将士を見て。
「さすがは義貞よ。逃げたつつも見事に一矢のあいさつを残して行った。武士はこうありたいもの。彼にかかる鎌倉武士の余香があろうとは思わなかった。尊氏もここで見事彼に負けたぞ。好敵手、好敵手。いちばい心をひきしめようわい」

「さすがは」尊氏はその手際を聞き、「義貞の戦上手よ」と淡々としてつぶやいた。そして、「義貞は元来、平場(平地)の駈けを好み、またそれが得意の騎馬戦が中心なのに、前に川を当て、後ろに山を負った布陣は、どういう腹か」とすこし無気味な感を抱いたふうでもあった。
おもえば、数百余年来、郷国を隣にし合い、代々確執をつづけ、和解また不和をつづけて来た新田と足利とは、ここにその総決算をつけるべき宿命を、長い月日にかけて作ってきたのかもしれない。

と他にもあったのですが、今回はこの辺で。
勾当内侍との甘~い場面はまた別の機会に……。

新田義貞 北関東道画像は北関東道路にあった「新田義貞」です。


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