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物語を物語る

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桂小五郎のカッコいいところをどんどん書いていく!

物語を物語る

激怒!
これはいけません!

NHKの「歴史秘話ヒストリア」の「桂小五郎」の再放送を見た。
タイトルに「逃げちゃだめだ~逃亡者・桂 小五郎 明治をひらく~」とある。ホームページ番宣には「小五が「逃げの小五」になったワケ  幕末維新のヒーローたちの中でもイケメンで人望もあった桂小五郎。しかし彼には“どたんばで逃げる”という弱点がありました。池田屋事件では仲間がたおれる中、小五は屋根伝いに脱出。さらには禁門の変で戦う部下を尻目に、一人行方をくらまします。自分の弱さに苦しむ英雄の迷走物語。 」とある。

ヒドイ内容だった。

まずウソが多すぎる。歴史的考証などまるで無視だ。
それに、番組制作者が思い描いている「物語」に沿って描かれている。つまり45分のドラマを作るような感覚で、歴史上の人物をその中に当てはめている。(この回でいえば、弱虫で逃げてばかりいる小五郎が、恋人の幾松・友人の坂本龍馬の助けを得て立ち直る。めでたし、めでたし……、そんな安っぽい話にしてしまう)
ほんと、最近の歴史モノの番組はオカシナものばかりだ。(NHK大河ドラマも含めて)
過去記事
TBS「テレビ世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」は久々の最悪歴史モノ番組だ!

「だったら見なければいい」と言われるだろう。確かにそうだ。しかし、例えば桂小五郎に興味があって初めてこの人物に触れようとこの番組を見た人はどうだろうか。それがこんな番組制作者の偏ったモノをみれば、その偏見を持ったまま歴史上の偉人をこれから先ずっと見ていくことになる。(今回の場合は「桂小五郎は逃げ回ってばかりいた弱虫」といった誤った偏見を持つことになる)
少し前に見た歴史モノバラエティーで、坂本龍馬を紹介していたとき、あるおバカ女タレント(里田まいかスザンヌだったと思う)が「あっ、この人、日本で最初に水虫になった人でしょ、靴を履いてるから、知ってるよ」といってドヤ顔になっていた。たぶんどこかの歴史モノの「実は○○」ネタで仕入れてものだろう。
何が言いたいのかというと、こういうイメージを付けてしまうとなかなか取れない。それを歴史上の偉人たちが、どんな偉業を成し得たか、日本のためにどんな苦労をしてきたかを、すっぽり抜いてしまい、こんな悪いイメージだけを植え付けていいくことになる。こういうことが、番組を作る人たちには、イケナイことだと全く分かっていないということだ。
ある歴史上の有名人を祀った神社で、そこにいた観光客が「この人、人妻好きだったんだってよ」といってその人物をバカにしていた。こんな気持ちで神社に来たとしても敬意なんて気持ちは沸き起こってはこないだろう。それはやがて歴史や歴史上の偉人たちの軽視につながる。
昨今の歴史モノを取り扱ったテレビ番組が、悪意ある情報を垂れ流す罪は実に大きいのだ。
この点は過去に何度も書いているので過去記事で。


さてさて「歴史秘話ヒストリア」の「桂小五郎編」に戻る。
どこがどうイケナイのか一々取り上げるのは面倒なので、あまりにもヒドイところだけを挙げてみる。
①桂小五郎が、幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の塾頭となったは、「話合いがうまく、人をまとめるのが上手かったから」といった内容になっていた。
おいおい、桂小五郎は、戦後の平和主義者かよ、話し合うことが好きなサヨクかよ。そんな描き方だった。
桂小五郎を舐め過ぎだ。彼の剣術が凄かったから、塾頭にまでなったのだ。「小五郎は上段のかまえを得意とし、大柄な彼が竹刀を上段に振りかぶると、気魄はあたりを圧した。」といわれ、大名や藩に請われては、師匠の斎藤弥九郎にともに武家藩邸に出稽古に行ったり、剣技を教えに行っている。
以下、木戸孝允の生涯を描いた名著村松剛「醒めた炎」(中央公論社)からいろいろ引いてみる。
村松剛「醒めた炎」

吉田松陰が獄中から小五郎に宛てた手紙には、「吾が友桂小五郎は武人なり、」という。武人とはここでは単に大言壮語する口舌の徒ではない、という意味である。「武人にして、書生に非あらず。」したがって小五郎は、軍事には十分通じていると思う。しかし国防のことは重大であり、くれぐれも「書生の粗心」をもって計算を誤ることのないようにというのが、一文の趣旨だった。

吉田松陰いわく小五郎は「ペラペラ口の軽い男ではない、侍である」ということだ。この番組はどうしても小五郎を「弱い男だった」としておきたかった(その後に成長して立派になったという物語にしたかった)が、そんなことは全くないのだ。
ちなみに、吉田松陰は桂小五郎を高く買っている。

「江戸藩邸の大検使役に抜擢されたのも吉田松陰の熱心な運動と、周布政之助の推挽による。周布は、松陰を説得できる男は、小五郎しかいない松陰が入江杉蔵に宛てた手紙「ああ、われの敬信する所の者、ひとり桂と来原とのみ」……。
小五郎のすすめにおとなく従った。小五郎の真情を、無垢な彼の心は素直にうけとめていたのである。
高杉普作に宛てた手紙には「桂は厚情の人物なり。此の節同志と絶交せよと、桂の言なるをもって勉強してこれを守るなり。」

などなど、松陰と小五郎の深い友誼関係を示す逸話はいくらでもある。小五郎は吉田松陰の遺書「留魂録」を手許におき、江戸在府中の知友に回覧させていた。
過去記事 吉田松陰の魂はどこへ
これのどこが「弱々しい男だというのか」

それでは、わたしの好きなエピソードを引いてみよう。

江戸の台場建造
勉学熱心なこの男は自分の無学に気がつくと、師匠の斎藤弥九郎にたのんで江川太郎左衛門の弁当持ちの人足に化け、品川台場の築城工事の現場に日参することにした。
斎藤弥九郎は江川の兵学上の師として遇されていたので、台場建設の現場に同行し、その弥九郎の弁当持ちとして小五郎が頬かぶりをしてついて行く。茶屋などで休むときには江川と弥九郎とが座敷に入り、お供の小五郎は土間で待っているのである。
品川の茶店の土間で座って待っていたとき、店の婆さんが小五郎の顔をまじまじと見て、
「おまえさん、そんななりぃしてなさるが、ただのおひとじゃあないね。」
「とんでもない」と、小五郎が慌てて否定した。外様の長州藩士が変装して江戸の台場をさぐっているなどということが知れたら、当時まだ幕府は長州藩を信頼していたとはいえ、ただではすまないだろう。
江川にさえ、彼ははじめ素性をかくしていた。婆さんは、「そうかえ。ただの人夫ってえご面相じゃないんだがねえ。」
それから彼女は小五郎に、懇懇と説教をはじめた。以下、小五郎の藩の後輩、山尾庸三の回想による。
「足下は奴僕の群にあるべき人ではない。すみやかに心を決して適当の業務をえらび、おほいに青雲の志を立てて怠り忘れてはならぬ。」
彼はすでに大組士であり、幕藩体制ではこの身分は生涯たぶん変わることはなく、茶店の婆さんなどにおだてられたところではじまらない。
しかし小五郎は、神妙にきいていた。婆さんのことばが彼にはよほど心にしみたと見え、後年いくどもこのはなしをくりかえしている。

こんな逸話一つとっても桂小五郎が「ナヨナヨした弱い人物」ではないことがわかる。

② 番組では、池田屋事件のとき桂小五郎だけが逃げて生き残り、卑怯者という描き方となっていた。この「逃げた」ということを殊更に強調してある。番組が描いたシナリオ上、どうしてもここを彼の「トラウマ」とさせたかったのだろう。
さて、史実はどうだったのか、事件のあった時間に桂小五郎は、池田屋にいなかった。小五郎は池田屋に早く来すぎていて、まだだれも来ていないと聞くと、あとでまた来るといい残して対馬の藩邸に向ったという。
『醒めた炎』では「大島友之允と話こんでいた小五郎はひとを出して何が起こったのかをたしかめさせた。
変事と聞いて剣をとって立ち上がった小五郎の前に、大島が立ち上がった。突出は、自殺にひとしい。
小五郎の回想の筆記が、山口の歴史資料館に保存されている。(「桂小五郎京都変動ノ際の動静」毛利家文庫、筆記者は杉山孝敏)。これによると、「大島かたくこれをとどめ、ひとをやり動静をうかがわしむ。時に宮部鼎三(蔵)、吉田稔麿等以下みなすでに殺される。」とある。
番組では、佛教大学教授の青山忠正が、乃美織江の言を引いて、「小五郎は屋根伝いに逃げた」と解説している。(この青山忠正なる人の解説もヒドイ。小五郎を卑怯者のごとく解説している。ほんとに学者なの? 番組も制作者の描いたシナリオ通りに解説する人を使ったとしか思えない。)
『醒めた炎』では「小五郎とならんで京都居留守役をつとめていた乃美織江は、彼(小五郎)が新撰組の斬込みにあってから屋根伝いに対州藩邸に逃げ延びたと思い込み、手記にそのように書いている。
屋根伝いの脱走は乃美の手記によって一時定説化されたと見え、大正十年刊行の『防長回天史』までがこれを本文では採用し、補遺で訂正しているのである。池田屋と対州藩邸は近いとはいえ、あいだに岩国の藩邸をはさんで路地が二つあり、屋根から屋根への跳躍は不可能といってよい。」とこの説を否定している。
どちらが正しいのだろう。Wikipediaでは2つの説を載せている。
ただ番組では副題に「「逃げちゃだめだ~逃亡者・桂 小五郎」とあるくらいだから、どうしても桂小五郎には逃げ回ってほしいのだ。でも、村松剛もいうように、この時代の志士はみな「逃げ回った」。高杉晋作も伊藤俊輔(博文)も井上聞多(薫)も坂本龍馬も、それこそ幕府側の勝海舟や徳川慶喜、近藤勇だって身の危険を感じれば直ちに逃げた。
それを桂小五郎だけにその汚名を被せ、長州藩士が死んだことをみな小五郎の所為にするかのように描く、ほんとにヒドイ。
吉田松陰は言った「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし  生きて大業のみこみあらばいつでも生くべし」と。桂小五郎は明治は生き残って大業を成した。とすれば「逃げの小五郎」は、小五郎への褒め言葉である、私にはそう思うのだが。
katsura_1024.jpg
アニメ「銀魂」の中に登場する桂小五郎をモデルにした「桂小太郎」。この桂は自らに綽名された「逃げの小太郎」を誇りにしている。

では、少し小五郎の人物を『醒めた炎』からエピソードを拾ってみよう。

有備館(長州藩が江戸の桜田の邸に開いていた道場)の舎長に彼が就任したころの有備館は規律が弛緩し、仮病をつかって何日も道場に出て来なかったり、吉原に遊びに行って明方に帰って来たりする塾生が少なくなかった。
小五郎は規則違反者には、たとえ自分より年長の武士であろうと遠慮なく退塾、禁足を命じ、この男としては珍しく大声で怒鳴ってもいる。一部の塾生が舎長排斥の運動を起こしたが小五郎はその方針をつらぬき通し、質の悪い何人かを国許に追い返して、有備館に道場としての厳しさをよみがえらせた。
有備館の風紀を彼が一新させたことが、小五郎への藩内の評価をたかめたのである。
(中略)
江戸詰家老の宍戸備前守は「桂小五郎をよほどよほど見こまれ候趣にて」と周布政之助が驚くほど、小五郎に惚れ込んでいたのである。

ド・ヒュブネル男爵(オーストリア人・フランス駐在全権公使、ナポレオン三世から大士官の勲章を受ける)は明治四年に日本に来て、東京で参議、木戸孝允に会った。「一見して非凡な人物であることがわかる」と、六十歳になるこの練達の外交官は書いている。
「彼は長州藩の指導者であり、一八六八年の革命の主要な推進者の一人である。ダイミョウたちに版籍を奉還させた有名な誓願書を、ミカドに宛てて書いたのは彼だった。
木戸の態度と物腰とは庶民のものであって、事実歴史の舞台に出て来る前の彼はサムライだった、とヒュブネルはいう。
「しかしこれほど強烈に精神の力を感じさせる風貌に、私はこの国でかつて出会ったことがない。彼がものをいうとき、その表情は独特な生気をみなぎらせる。(中略)一見して非凡な人物であることがわかるのである」
木戸はこのとき、三十八歳だった。ド・ヒュブネル男爵は殆ど息子に近い年齢の彼から、よほどつよい感銘をうけたらしい。庶民風の態度、物腰というのは、いわゆる殿さま顔とはちがう、という意味かと思われる。

こういう桂小五郎の人物を示すエピソードはいくらでも出てくる。
これらを読んでも、番組のように桂小五郎は「女々しい人物」であったのだろうか。

③ 但馬の出石に潜伏していたとき小五郎は、ウジウジした生活をしており、それを立ち直らせたのは幾松であったと描き、その言葉は「しっかりしなはれ」だったとか……。
もうこの描き方はこれはどうにもならない。しかもなかなか長州に帰らないのも小五郎自身の「逃避的」性格によるとしている。
長州に帰るにしても甚助兄弟の助けを借りなければならないし、野村靖之助の手紙で藩の情勢のおおよそは分かったが詳しい情報までは分からない。
それに長州までの道のりには幕府の関所がいくつもあり、すぐに帰れる状態になく、なによりも準備が必要だったのだ。
実際、長州藩では高杉がクー・デタを起こして俗論党と呼ばれる守旧派を一掃しているが、開明派と攘夷派が対立し、高杉晋作や井上馨、伊藤俊輔博文らは斬奸の対象となっている。
そういう諸般の事情を番組は全く描かない。(番組内では、高杉晋作の名が一度も出てこない。幕末長州藩を取り扱って、それはありえないことだろう)
奇兵隊ドラマ「奇兵隊」高杉晋作(松平健)と桂小五郎(中村雅俊)

そして、決定的ウソを放送する。
幾松に励まされ改心した小五郎は、その決意として改名し「木戸貫冶」とした、という。
これは大嘘だ。
何よりも「木戸」姓にしたのは、長州藩の藩命によるものだし、「木戸寛治」としたのは、長州に帰ったあとの慶応一年九月といわれ、潜伏していた時期よりも一年も後のことだ。
歴史モノでこういうウソはいけない。
何かを意図として、分かってやっているとしたら、なおのこともっと悪い。
「逃げちゃだめだ」物語としては、どうしても「改名」するほど本人が変わったと表現したかったのだろう。
だがもうこれは歴史モノではなく、歴史上の人物を使った創作ドラマだと言っていい。
いや、「歴史秘話ヒストリア」は歴史情報ドキュメンタリー番組という大層なものではなく、架空歴史妄想番組だといってよいだろう。

では、桂小五郎は本当にそんなにウジウジしていたのか?
『醒めた炎』から長州に帰った直後の小五郎のエピソードを一つ引いてみましょう。

伊藤俊輔が刺客に狙われ馬関の町を転々としていた。刺客団の首領は長府藩の馬廻士で、泉十郎という。
下関に着いた小五郎は対馬藩御用の桶屋久兵衛の店に泊まり、翌朝さっそく俊輔を呼んだ。俊輔はこのころは定宿の紅屋にもどって、裏の土蔵にひそんでいた。
小五郎の顔を見て、若い俊輔は両目に涙をたたえた。問われるままに俊輔がその窮状を訴えると、小五郎は、
――もってのほかだ。野々村勘九郎を呼べ。
泉十郎の旧名が野々村勘九郎だった。泉は野々村を名乗っていた時代に江戸の斎藤彌九郎の道場で剣を学んでいたから、小五郎は大柄で総髪のこの男をよく知っている。
小五郎よりは六歳若く、塾頭だった彼から見れば弟子といってよいだろう。つまり小五郎の帰藩後の最初の仕事が、俊輔暗殺団の鎮撫だった。
幕府による再征が目前に迫っているというのに、防長二州内で同胞あい食むとは何ごとかと叱りつけると、根が純情な泉は巨体を小さくしてあやまり、俊輔のところに詫びに行った。
小五郎の帰国は長州藩にっとって、「大旱に雲霓を望むごとき有様だった」、と伊藤はいっている。霓は虹を、意味する。

カッコイイですね。
果してこれが番組が言うように「陰鬱でグズグズした卑怯な男」だろうか?

④そして、もういい加減「龍馬病」から脱しようよ。
「薩長同盟」も「大政奉還」も龍馬発案で、小五郎がこれらを果たしたのは、龍馬の友情、約束のためだった的な内容。
何なのだろうか、幕末・維新の偉業はすべて坂本龍馬が行ったかのような風潮にはウンザリだ。もう司馬遼太郎「竜馬がゆく」の呪縛から解き放たれないと、西郷隆盛も勝海舟も木戸孝允もすべて小物扱いになってしまうよ。
言っておくが、「薩長同盟」は小五郎の持論であって、龍馬に言われなくてもそんなことは十分に分かっていた。
だが、後半は龍馬が主役のような感じで、万事がこの調子だ。もういいよ。
一々言うのが面倒なくらいだから、ここらでやめておく。
さてさて、そして番組ラスト五分くらいは、小五郎さん立ち直ってよかったね、と大団円。
こんな軟弱な人が明治維新を行ったのだから、あなたもやればできる、みたいな印象で終わりました。
……。
だめだこりゃ。

お口直しに、古川薫「桂小五郎 奔れ!憂い顔の剣士」(小峰書店)の始まりがカッコいいので、引用して終わりにします。

世の中が変わるときの歴史は、新しい時代を産みおとすための苦しみからはじまり、それは期待をはらみながらも残酷で、悲壮で、そして華麗な青春の舞台でもある。
徳川幕府の政治体制が揺らぎ、近代国家に生まれかわろうとする日本の幕末といわれる時代の主役もやはり若者にまわってきた。彼らはすぐれた英知と、たくましい行動力をもって志士となり、夜明けの地平を走った。
加熱する列島の土を蹴って突進し、あるいは燃え尽き、あるいは死線を越えて、志をつなぎながら、時代の舵輪を握ったのだ。
いまここに登場する長州藩士・桂小五郎も激動の日本い生まれ出た二十歳の若きサムライである。本州さいはての長州から剣術修行で江戸に出た彼は、練兵館道場の荒稽古に耐えて神道無念流免許皆伝の剣士となるが、黒船来航に遭遇して時代にめざめた。
近代兵器アームストロング砲を搭載した巨大な軍艦。黒船は空砲を轟かせて日本人を威圧し、国をひらけと強談判。幕末の日本人がはじめて経験した異国の風圧。それを「外圧」という。日本人はこのときから長い期間にわたって外圧という悪魔に脅かされた。桂小五郎はそれから外圧と戦う剣士となった。剣士の魂を心に秘めて、小五郎は新しい軍事技術に取り組んだのだった。
眉濃く、眼光涼しく、口元ひきしまり、鼻すじとおった好男子。無口で、いつも憂いを含んだ微笑みを浮かべ、志士のなかでは最高のハンサムといわれた。「憂い顔の剣士」桂小五郎。
その憂いとは憂国の憂いだが、中世ヨーロッパの女性たちがあこがれ、かのドン・キホーテが空想した美しい甲冑の戦士。それが魅惑的な憂い顔の騎士である。いざ「憂い顔の志士」桂小五郎の飛翔する人生を語ろう。

やるなら、このくらいカッコよくやって欲しかったなぁ~。
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Comment

[400] 木戸さん
最近の歴史番組は確かに酷い。あほが制作しているとしか思えない。粗を探して面白おかしく演出する。攘夷は侵略に対する抵抗運動なのに、蒙昧な土俗感情としか描かれていないし。テレビ局はもう駄目だ。
[480]
世良さんなんかは司馬のせいで
桂さんより酷い扱いに…

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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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