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資料編10回目 丸谷才一「忠臣蔵とは何か」 その1

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資料編10回目。
今回は前回の井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」やその前の「怨念の日本文化 幽霊編」に続いて、丸谷才一「忠臣蔵とは何か」を取り上げます。
ただしいつものように、資料として必要な箇所をダラダラと抜き出すだけで、本の感想や要約ではありませんよ。
必要なのはキーワードの抽出。ここでは「鎮魂」「カーニヴァル」「御霊信仰」などです。

とその前に、昔の「歴史読本」に「忠臣蔵とは何か」を特集した号があったので、そこから各人の文章を抜き出していきます。
歴史読本 「忠臣蔵」とは何か
(「昭和63年1月号」、パラパラめくると「歴史文学賞」の最終候補に宮部みゆきの「かまいたち」の名を見つけました。まだまだ新人のころの宮部。そのくらい前の本だ。古本って、こういう発見があるから面白い。)

では、以下引用。
小田晋(精神医学者) ドラマ「忠臣蔵」の解読――日本人像を映し出す鏡

……つまり丸山氏は、赤穂浪士たちは、御霊である主君への鎮魂のためにあの復讐を行ったとするのである。狂気が聖なるものとされるのは、多くの場合、古代信仰の担い手であるシャーマンや呪医のような巫者が、巫病といわれる狂気を通じて成巫したり、筆者が1967年にネパールで観察した例のように、てんかん発作やマラリアによる熱性せん妄が巫者になる契機とねりうるという事実から、民俗心理の古層に組み込まれている観念であるからだと思われる。
ボアズ(『心理人類学』創元社 1987)がいうように、古代的タブーの発生は、タブーになる対象に対する矛盾した感情がもとになっているのであり、戦いで殺された死者は憎むべき敵ではあっても、怨霊であるから畏敬されねばならない――というのは古代人や未開人に共通の観念である。それは必ずしも日本民族固有の観念ではないけれども、わが国の特徴は洗練された高文化の基底にこういう古層が、比較的変形されずに組み込まれているところにあり、それが柳田・折口学のような日本民俗学が独自の学問として成立する根拠ともなっているのである。


小室金之助(創価大学教授・弁護士) 忠臣蔵論争

昭和59年に、丸谷才一氏は、『忠臣蔵とは何か』を発表し、従来、忠臣蔵が儒教的美意識の典型的表現だなどと漠然と考えられてきた「仮名手本忠臣蔵」が、実は将軍調伏という恐るべき意図さえも孕んだいわゆる御霊信仰を支えとする祭祀劇であったとする新しい説を唱えられた。すなわち、氏は、忠臣蔵を事件としても演劇としても支えたのは民俗信仰の一種である御霊信仰であって、その背後には、冬の王を殺して春の王を迎えるヨーロッパのカーニバルと通う思想があったとされるのである。
丸谷才一「世紀末そして忠臣蔵」には「四十七士は浅野内匠頭の怨霊が祟ることを恐れて、怨霊をなだめる儀式として仇討をした。あれは武士道の現れではなくて古代信仰の表現だった。そして江戸の市民は四十七士の死霊が祟ることを恐れて芝居の忠臣蔵を上映した」とあり、浅野内匠頭の「遺恨」が怨霊と化し、江戸の町を漂う。その霊を鎮める儀式が忠臣蔵だ。


山崎哲(劇作家) 怨霊の誕生 転位した討ち入り劇

内匠頭の遺恨は彼ら(赤穂浪士)にとっての怨霊に昇華し、討ち入りはたんなる仇討ちから「怨霊をなだめる儀式」へ転位していったのだと思う。こうしてここに大衆と浪士らの無意識が結びあい、事件が怨霊鎮めの儀式、あるいは祝祭劇として展開されていく筋道ができあがった。


横木徳久(文芸評論家)

丸谷氏はまず、「忠臣蔵」と「曽我物語」との相似点を論究し、民衆が共感を抱く背景に御霊信仰、すなわち「非業の最期をとげた者、殊に政治的敗者の怨魂がたたって疫病その他の災厄をもたらすという日本古代信仰」があると指摘する。そして、この「御霊信仰」が、日本という枠組みを越えたカーニヴァル的な性格さえ含んでいるという大胆な推論を行っている。
「つまり『仮名手本忠臣蔵』にはカーニヴァル的な要素と御霊会的なものがどちらも充分に含まれていることになる。こんなふうに言えば、御霊会はともかくカーニヴァルのほうは、奔放な空想力の所産として呆れられそうな気がするけれど、ニースやリオ・デ・ジャネイロやニューオリンズの祭が直接この芝居に関係があると考えているのではもちろんない。もう少し手の込んだ構図にわたしは心を寄せている。わたしが思い描く時間の枠組みは気が遠くなるくらい大きいので、平安初期の御霊会よりも遥か古く、カーニヴァルの祖先らしい古代ローマにサトゥルナリア祭よりももっと昔の、東西における太古の祭りを想像したいのである。」
(中略)
文化人類学者の山口昌男によれば、カーニヴァルとは「秩序の拘束から離れて気儘に戯れ日を過ごす」ことであり、未開では「王権の反秩序儀礼」としての意味を担っているという。
元禄時代の「王権」は、言わずと知れた悪政の徳川綱吉である。民衆の不満は潜在的に充満していたと考えられる。そうした民衆が「忠臣蔵」に激しい共感を寄せ、現在に至るまで愛されつづけている点は興味深い謎であり、いろいろな解釈を可能にする。丸谷はそこに「太古の祭」という原初的なエネルギーを感じとり、最新の概念を導入してその解明を果敢に試みたといえよう。


とこれらを読んでいくと、前回の井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」でまとめた「鎮魂と慰霊」が、「忠臣蔵」という劇・物語の中に濃厚に取り込まれていることがわかるでしょう。

では、次回で丸谷才一の「忠臣蔵とは何か」の本編の抜き出しを行います。
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