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自己の感情コントロール その4 資料編20回目 心理学も脳科学も神道もアンパンマン考も同じことを説いている

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 自己の感情コントロール その4 資料編20回目 「心理学も脳科学も神道もアンパンマン考も同じことを説いている」

さて、今回は「自己の感情コントロール」のまとめです。
自己の感情コントロール その1 アンパンマン考の続きから」でまとめたように、脳の中にある攻撃性を抑える力は、動物が高度になるとより強くなるということでした。
攻撃性と抑制について検索するといい記事が結構出てくるので引用していきます。
http://www.toshiba.co.jp/elekitel/special/2003/05/sp_02_c.htmから。

攻撃と抑制の脳内メカニズム 上田秀一・獨協医科大学 教授
攻撃性を抑制する回路
マウスのような前頭葉が発達していない動物では、攻撃に対して、脳幹にあるセロトニンニューロンなどの回路に抑制系があると考えられます。攻撃は動物の本能でもあるわけですが、その本能的な部分さえも、脳幹からのセロトニンなどによって制御されているわけです。一方、動物が高等になってくると、むしろ大脳皮質、前頭葉が抑制をかけるということになります。人間の脳は簡単にいうと、進化的には古い脳であり生存に必要な機能を司る脳幹、情動と関係があると考えられている大脳辺縁系、学習、思考、認知などと関係する新しい脳である大脳皮質の三つの階層構造になっています。脳幹、辺縁系の本能的、情動的な働きを大脳皮質が抑制して、そのバランスで成り立っているというのが、ちょっと単純化しすぎですがわかりやすい説明です。確かに人間の場合は、大脳皮質の前頭葉が非常に発達していますので、攻撃性についてもその関与は大きいと思います。
 人間の場合、攻撃性に対して、上位、つまり前頭葉からの抑制系と、下位、脳幹からの抑制系と、二つのブレーキの機構があると考えられるわけです。(中略)
 下等動物では、セロトニンが、ある意味、怒りのベースラインを下げているのですが、人間で、攻撃性が異常に高い人は、学習などの欠如だけでなく、セロトニンニューロン自体が現代の生活環境の中、あるいは発育環境の中で機能が低下しているのかもしれません。前頭葉も、セロトニンニューロンも二重に抑制機能が落ちている可能性があるわけです。
攻撃性、暴力の問題は、精神と脳をめぐる議論、行動に対する遺伝と環境、宗教観や政治的課題までふくむことになります。この問題の解決には、生物的な問題だけでなく、社会環境的影響や、心理環境的影響までも理解した上で、取り組まなければならないと考えています。

脳 抑制

またこういう記述もある。「大脳皮質の場合は、認知、つまり学習して獲得し、こういう状況ではこんなことをしてはいけないという判断がすり込まれないと、抑制がかかりません。人間の異常な攻撃性を抑制するには、そのための教育などによる、前頭葉からの抑制の強化が必要かもしれません」
なるほど、攻撃性の抑制には経験や学習が必要だということだろう。
自我の確立、アイデンティティの獲得、道徳的価値判断なども年齢とともに発達していくあたりは、これまでの引用でみてきた通りです。
これらとともに、人間として重要となってくるのが、攻撃性とその抑止力のバランスだ。http://www.fuanclinic.com/kazoku/kazoku06.htmから。

イギリスの精神分析学者アンソニー・ストーの古典的名著“人間の攻撃心”をベースに、どんな人の心にもある“攻撃性”の根源的な意味とその為せるものについて述べるとともに、誰しもが自らの心に潜む攻撃性や残虐性に気づき直視することの大切さを特に強調しました。アンソニー・ストーは暴力や残虐な行為をもたらすことの多い攻撃性が、実は私ども人間にとって絶対欠かすことのできない、極めて広範囲な人間行動の基礎をなすものだと述べております。攻撃的というと相手に危害を与えるようなイメージを抱きやすいのですが、“攻撃性”には知的な努力を傾けるという肯定的な意味があるのです。難問に取り組み悪戦苦闘しながらもついに解き明かすことができたとか、様々な困難や課題に直面し、めげることなく立ち向かい克服しようとしたとかの類のものは、まさに攻撃的でアグレッシブな知的活動というわけです。その一方で相手を痛めつける“いじめ”や“嫌がらせ”、“暴力虐待”がいまわしい攻撃性の為せるものであることはいうまでもありません。またスポーツ競技から攻撃性を取り去ってしまったら気の抜けたビールのようなものになってしまいます。
 このように私ども人間は誰しもが、多かれ少なかれ、かかる両面性のある攻撃性や残虐性を持っていると考えるべきで、それゆえにこそ己の心と行動への監視や見直しを怠るべきではないと思うのです。
 特に子どもに対して、将来いまわしい攻撃性を爆発させるようなことなく、本人にとっても、またまわりの人たちにとっても益となる行動を生み出させる自己統制力を身につけさせるためには、親子、兄弟など、家族関係の在り方や親の子育ての仕方がどうあるべきかがまず問われることになります。

そして今、子供たちにとって一層重要性が増してきていると思われるのが、時には危険な遊びや冒険もいとわず、喧嘩もできるような遊び仲間や悪友たちとの関係であります。仲間やライバルとの生身のぶつかり合いによって喧嘩のルールや攻撃行動の手加減を自ら体得していくのです。親たちは子供たちの遊びや仲間関係にもっと関心を持ち、仲間たちとの、よりアグレッシブ(攻撃的)でしかも自立を早める活動を積極的に進めるべきだと思うのです。もともと人間の行動の原動力として欠かせない攻撃性は、生まれて間もない乳幼児にいち早く見出すことができるのです、たとえば、よちよち歩きの赤ん坊がまわりへの好奇心からいろんな物に触れたり動きまわったりする“探索行動”は、攻撃性の正常発達と自立心の育成に欠かせないものなので、危ないからといって抑えるべきではないとされているのです。そういえば親への対立や反抗が許されないまま親の思いどおりに育ってしまった結果、自ら為すべき課題に自力で取り組み克服しようとする攻撃心に欠けた、頼りない青年が最近増えてきているという指摘があります。思い当たる方は決して少なくないのではないでしょうか。 

さて、ここで重要なのは、人間が持つ好奇心や積極性は攻撃性の中にあるということです。人間の行動の原動力となる攻撃性がなければ、人は成長しないということです。
恋するドキンちゃん(好奇心旺盛なドキンちゃんは恋もします。つまり性欲も秘めている)
アンパンマン考的にいえば、ドキンちゃんの持つ好奇心や行動力が人間の心(脳)の中では大いに必要であるということなのだ。(この暴走を抑えるのがアンパンマンとなる。)

さてさて、ここで、安岡正篤の「日本精神通義」から引いてみましょう。
安岡正篤
ここに、日本の神や魂に関する記述がある。
脳科学や発達心理学といった科学的なものとは全く関係がないように見えるが、、面白いことに、ここに関連性があるのだ。表現する言葉は違えど、言っていることは同じ意味なのではないか、と思えてならない。

さてこのように生じた多くの神々、いわゆる八百万神を通常、天神(あまつかみ)と地神(くにつかみ)、あるいは天津神と国津神とに分けております。天神は文字通り天上に居住せられる日本民族の祖先、およびその系統中に包摂せられている神々であります。一方、地神はこの国土に住みして、天神に従属しておられる神々であります。
これらの神々をして神たらしめている奇しき霊魂の作用について、すでに造化三神(別天神・ことあまつかみ)の「たかむすびの神」「かみむすびの神」の表し方によっても明らかなように、「あらみたま」(荒魂)と「にぎみたま」(和魂)とを観(かん)じております。
「あらみたま」すなわち荒神は霊魂の活動派生、猛進、奮闘のはたらきであり、「にぎみたま」すなわち和魂はその守静、調節、平和、交歓のいとなみであります。両者は相待不二(そうたいふじ)のものとすると同時に、また自ずから分かち、別々にこれを祭っております。有名な長門の住吉神は荒魂の方であり、摂津の方は和魂だそうであります。概して荒魂の方が多く祭られていることは当然でありましょう。
どうかすると、荒神を悪神、和魂を善神と考える人もありますが、江戸末期の国学者・鈴木重胤も『書紀伝』に明言しているように、それは誤りです。善悪は作用の過不及に生ずるものでありますが、しかし、実在が絶えざる生成化育をに明言しているように、それは誤りです。善悪は作用の過不及に生ずるものでありますが、しかし、実在が絶えざる生成化育を建てまえとする道理上、多く悪は「過ぐる」に生じます。病も食い過ぎ、飲み過ぎ、争いも出過ぎから起こりますように、「荒ぶる」ことはともすると「過ぐる」こととなりやすく、そこから悪に傾きやすいということは認めなければなりません。なお、この荒魂に相応して奇魂(くしみたま)和魂に相応して幸魂(さきみたま)の信仰もありますが、荒魂、和魂ほど一般的になっていませんし、結局、同じことでありますから、ここでは省略いたします。

具象的な思惟による「鎮魂」
民族に信仰心とともに反省が深くなり、道義心が高まってくるにつれて、神への関心はやがて神への精進にならざるを得ません。すなわち、荒魂、和魂の祭りとともに、自分そのものに荒魂を奮い起こし、和魂を厚く養うことにならなければなりません。前者は「みたまふり」といい、後者を「みたましずめ」といって、一緒に「鎮魂」と称します。もっともこれは、その始め、荒ぶる神の心を鎮めるために多くに行われたことも無理のないことですが、後世になるほど自修的になってゆきました。
人は「みたまふり」によってよく勇を鼓舞し、生活を打開向上せしめ、「みたましずめ」によってよく優情や叡智を養って、人生をまっとうし、神ながら(惟神、神髄)に進めるのであります。抽象的思惟のまだ発達しない、そして本来、あまり抽象的思惟を重んじていなかった古代日本人はこの「鎮魂」にも外国宗教の同様な事例に較べますと、ずっと具象的でありまして、……。


「荒神」とはつまり、発達心理学的にいうところの「攻撃性」であり、アンパンマン考で唱えるところの「ドキンちゃん」だ。
そして、「和魂」とは、発達心理学的にいうところの「抑制力」であり、アンパンマン考で唱えるところの「アンパンマン」なのだ。
本文に「悪は「過ぐる」に生じる」とあるように、欲望の暴走(バイキンマン)があることを意味している。
まさに、私の唱える「アンパンマン考」そのものを言っていることになる。

Wikipediaの説明では、「荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。」
荒魂

そして、人の心(脳)の中にもこの相反する二つのものを持っていることになる。
この二つの均衡によって、心の平穏が保たれることになるのだ。
まさに、これまで脳科学や発達心理学などで引用してきたものと同じことを説明していることになる。

発達心理学や脳科学といった難しいもので人の心の内面を語らずとも、日本人はこれらを「魂」という概念で説明してきたのである。

そう「魂」だ!!


結局ここに戻る。資料編は「魂」の説明なのです。

長々と引用を続けてきた「自己の感情コントロール」編も、結局言いたかったのは、心理学も脳科学も神道もアンパンマン考と同じことを説いているということでした。
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